門井慶喜の「家康」で思う

鎌倉の武家政治をたどっているうちに、日本歴史を眺めると、頼朝に範を置いた尊氏から南北朝になり、政治も混沌としてくる。その後落ち着くと、改めて徳川260年の間、日本に戦争のない時代だったことがすごいことだと思っていたところに、門井慶喜が将軍について書いていることを知り、祥伝社文庫「家康、江戸を建てる」と祥伝社新書「日本史を変えた八人の将軍」(本郷和人と共著)を読んだ。
前者は、社会基盤の整備の話で、利根川の付け替え、流通のための金貨の発行、大量の上水道の整備、石垣工事(伊豆の石)、江戸城の建築(青梅の漆喰)について、言ってみれば家康のまちづくりについて紹介してある。いずれにも優れた職人がいて、職人を評価する人間がいたことが示されることに加え、どれも想像を絶するほどの大事業である。まさに、長生きをしたからできたとも言える。解説を本郷が書いており、家康は大変な勉強家で「吾妻鏡」しっかり読み込んだのだという。
後者は、二人の対談の形式で、坂上田村麻呂、源頼朝、足利尊氏、足利義満、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康、徳川吉宗、徳川慶喜、西郷隆盛の10人を取り上げて、小説家の物語と歴史家の史実とを競っている。
将軍とは征夷大将軍のことで天皇が与えるもの。信長や秀吉、そして西郷も征夷大将軍にはなっていないので、8人という数え方も気になるところではあるが、時代とともに将軍の意味が変わって来ていることはよくわかる。西郷は、明治時代なので将軍という呼び方があわないと思うのであるが、2人の意見は、近代なのに封建時代の将軍であったという位置づけを与えたいらしい。
将軍としては、基本的に軍事(主従制的支配権)と政治(統治権的支配権)があるが、家康の場合のみ一人で、しかも長い時間をかけて確立したところに歴史的な意味がある。坂上田村麻呂は名前は将軍であるけど、実質は探検隊長に過ぎない。鎌倉時代にあっては、関東以北は統一された国という体制になかった。江戸時代の天皇の位置づけは、実に象徴天皇的であることなどを含め、将軍の政治家としての腕の振るい方、知恵の働かせ方が、八人の比較で浮かび上がってくる。
本郷も述べているが、歴史家は人間の心理までは読み解けないという弱点がある。野家啓一の本を読んだときに、国定の歴史書よりも、人々の語りの中に、歴史の真実があると思ったのであるが、その意味では、小説家も一人の語り手ではある。そして何よりも、凄まじい量の資料にあたって歴史を動かした人を描くのだから、学者として尊敬に値するというのも、実にわかる。吾妻鏡の基本は、北條本と言われるというが、本郷は、それを整理したのは家康なので「徳川本」と呼ぶべきと記しているが、これなども、太宰治の「右大臣実朝」(2022年4月16日記事参照)で女子に語られる吾妻鏡の対比を、また思った。

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