谷川俊太郎対談集の味わい

標題に「人生相談」とあるけど、何か困って相談しているという内容ではけっしてない。人生の先輩たちとの対談(息子だけ例外)、谷川徹三(1895-1989)、外山滋比古(1923-2020)、鮎川信夫(1920-1986)、鶴見俊輔(1922-2015)、野上弥生子(1885-1985)、谷川賢作(1960-)、そして内田也哉子(樹木希林の娘)の解説が興味をそそるのだった。
本人も指摘している様に、いまさら何十年も前の対談にどれだけの人が興味を持つかとなると、特に、今の若い人にはどこまで通じるかのように思える。ただ我々世代には、若かったころの俊太郎が先輩との生き方、考え方のちょっとした違いなどに触れられるのは、おもしろいものだ。
もともと、高校1年生のときに、週刊朝日に連載していた詩が気になってコピーしてクラスで配ったり、「二十億光年の孤独」を本屋で立ち読みしたような記憶がある。高校時代の友人の入江君が、あるとき「谷川俊太郎の詩を配るなんて、無駄なことするなと思っていたけど、なかなかいいと感謝してる」なんてことを書いてハガキをくれたことがあったのも、妙に覚えている。
さらには、かつて建築家の篠原一男と対談したことがあり、土間床の傾いた家「谷川さんの家」を設計したということも、俊太郎がどういう人間なのか気になる理由の一つにある。
対談だから、二人の間で「うんうん」なんて納得することの一つに、共通の人物像が語られるのであるが、これが、興味は沸くものの、それほど人物を知らないものだから、さらに深く味わえるはずのところが残念でもある。そういう人物を、メモして書き出すと、5,60人にもなる。半分くらいは、聞いたことがある人物だが、まったく聞いたこともない名前も登場する。もっとも何人かは、とても納得できたりもした。
父谷川徹三との最初の対談の題は「動物から人間になる時」。谷川徹三なんて怖くて難しい哲学者のイメージであったが、子を思う父の心みたいなものが、やたら優しいお父さんとして表現されているように感じた。父親として見ていて「詩を書き始めたときに、お前は人間になった」と言葉に出しているが、俊太郎30歳のときに父親とこんな会話ができるものか羨ましく思った。
その8年後の対談が「月征服は人間に幸福をもたらすか」。宇宙開発とか核開発とか今の時代でも全くかわらないテーマが語られる。平和主義者の徹三と詩人俊太郎の対談だ。谷川徹三の宮沢賢治も読まなくてはいけない。
外山滋比古との対談は「日本語のリズムと音―はたして七五調はリズムか」これは60ページもあって読みでがある。「これだけみんな字が読めるということは、もう口承文芸みたいなものは成立する余地がない」(p.100)と俊太郎が言っているが、思うに、日本は江戸から明治でも変わったが、なによりも戦後社会が以前と違う文化になった。そんな中で、声にして味わう詩を書く意味を、小学校のころから90過ぎの今まで変わらず持ち続けているのかと想像した。
似たテーマ「『書く』ということ」は、1973年、53歳の鮎川信夫との42歳のときの対談。鮎川曰く、できのよくない生徒の弁とことわって、公害問題についても、「誰かひとり、なんだかんだってぐずぐず言い出して医務室に行けば、おれもおれもと行きたがる心理があるわけよ。」(p.140)と環境問題を斜めに論ずる。俊太郎は「地球上でどれが中央っていうこともなくて、つまり西洋文明が主流っていうこともなくて、全部が多様なローカルなままで共存していったほうがいいんだという考え方が、われわれの中にありますよね。」と言う。(p.148) 鮎川「七十くらいになったら田舎に行こう」(p.156) 俊太郎「大企業に協力するのは、戦争協力と同じじゃないかみたいな心理になってきているんですね。」(p.157) これも時代か。今に通じるような通じないような。
鶴見俊輔は父親との葛藤の強い人間で対談の題は「初対面 日常生活をめぐって」。俊太郎は吉野源三郎「君たちはどういきるか」にイカれていて鶴見の生き方とは違うなを思ったという。言葉について、鶴見は「日本の学者は自分の言葉を原書から借りてるでしょ、定義を。自分で定義しないから、もとの本を見て、どういう脈絡でこの人は定義したのかを見ないと、きちんと行かない。」(p.175) 英語がしっくりくる場合、日本語訳がどうにもしっくりしないなどは、わかる気がする。鶴見も徹三の弟子との交流もあって、初対面でも話はよく通じている。偽善について、政治について、自我について、老年について語っている。78ページあって一番長い。
野上弥生子は、馬込文士村の主のような方である。軽井沢の別荘が隣同士で子どものころから可愛がられたようだ。「俊ちゃん」「おばさま」と呼びあって今のこと、昔のことを語っている。野上がイタリーの無線電話を発明したマルコーニのお嬢さんの学校に参観に行って、12,3のお嬢さんの発声と身ぶりに感動した話を紹介。言葉や語り口については、お二人の専門領域だ。
最後の対談は、ミュージシャンの息子、賢作と詩と音楽のコラボを楽しんでいる様子が語られる。
対談に解説などいらないかもしれないが、まだ若い内田也哉子が、対談の言葉からそれぞれの人生を読み取る感動をうまく書いている。本人と息子を除いて、皆さん鬼籍に入られてしまっていると思うと、どう生きるかを言葉で残してもらったということが言える。まだこれからも、俊太郎の詩に、いろいろな機会に会うことを楽しみにしつつ。

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