子どもたちに「意味がある」場所に
こんにちは、子の看護休暇のため、娘を抱っこしながらカタカタパソコンに向かう「あお@aosenn」です。ボクのタイピングが眠りを誘っているようです。天使のような寝顔。
さて、今日は「意味がある」の続編です。
ボクは小学校の先生として15年目になります。どの年の子どもたちともたくさんの貴重な経験をさせてもらったと、この道を選んだことに1ミリの悔いもありません。学校の先生の可能性をちょっとでも広げることができてたらいいなぁとこの15年を振り返って思います。
そして子どもたちに教えてもらったことがあります。
それは、「人は変えられない」ということです。
ボクら先生はよく「〇〇を変える」とか「〇〇は変わった」とか割と人に対して使いがちです。(本当に?聞いたことない?でも世の中には結構そういう先生もいるらしいぞ。)
でも本当におこがましいと思います。
人を変えることは誰にもできません。先生として子どもたちを変えることはできないんです。
でも、唯一できるとしたら、自分が変わることです。自分が変わることで、人とのつながり(関係性)が変化します。または、自分が変わることで、子どもが自ら「意味を見出す」ことがあります。それによって、子どもの姿が変化して見えることもあるでしょう。
でも、人は変えられないんです。
ボクは長年そのことを思っていました。クラスの雰囲気が変わったり、いい方向に子どもの力で動いていったりすることはありますが、それを変えたのはボクではありません。
学年を変える、学校を変える。ボクには到底できません。
どうやら管理職になる気も0.1%もないようです。だからと言って、管理職を批判しているのではありません。誤解なくね、そこは。
ボク自身はもっともっと小さな範囲の中で、過ごしていきたいと思っています。
この本結構オススメです。
目の前の人たちを大事にして、目の前の人たちとの間に「意味をつくる」こと…それならボクでもできそうです。
他の二人がどう思っているかは定かではありませんが、今年の学年が一番「意味をつくる」ことができたと思っています。
そして誰より大事なのは、子どもたちにとって「意味がある」場所を作っていくことです。
ボクは、まだまだ未熟だけど常に子ども側に立っていたい。
ボク自身が不登校だったし、学校について生きづらさを感じていたのは事実です。
そんなボクが行きたいと思えるクラスをつくろうとがんばってきました。
でも、その場所はきっと学校じゃなくてもいいんです。
公立でも私立でも、オルタナティブでも、フリースクールでも、何なら家でも…
その子にとって意味がある場所ならそれでいい。そう思うんです。
誰のやっていることも間違いじゃないです。それぞれの場所でいいと思うんです。だって、きっと自分にとって「意味がある」からそこにいるわけなんです。
目的と手段に首を突っ込むな!ボクにはその資格はありません。
ジャストのタイミングで西野さんも言っています。
きっとそれぞれが、自分にとって「意味がある」場所で動いていけばいいと思うんです。
必要以上に煽らず、決してあきらめずにね。
だって、より良くしたいと思っているんですから、誰しもが。
ボクの強烈な原体験は、2校目の子どもたちと行った農業体験でした。米作りか…と嘆く前に、自分で地域に出て教材を子どもたちと作っていくこうと、里山の公園内にある田んぼを一人年間500円で借りて米作り体験をさせてもらいました。
その時、自然に触れる心地よさ、ホンモノに出会う喜び、1つのことに没頭する気持ちよさ…
保護者の方にも毎回協力してもらって、本当に学びとして楽しかったんですね。
今、どうしているかな、あの子たち。ボクにとっては強烈な体験だったな。
ボクはボクにとってそんな「意味がある」場所で、子どもたちのために動けたらなあと思っています。これからもお願いします。
学校現場からは以上です。すみません、早退させてもらって家からでした!
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