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モネの風景のはなし。


友人と念願のモネ展へ行った2015年の話。
前日の雨が夜のうちにあがって、晴れてくれた。

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写真じゃ解らないけれど、前に遠くに住む友人が贈ってくれた、夜空のデザインタイツをやっと履けて嬉しかった日。


行きは家からだと四時間近くかかった。
電車の中で天体議会と三日月少年漂流記を読んでいた。少し遠くへ出掛ける日には、あの本をよく選ぶ。列車で移動する描写が多いから。

いま思い出したけれど、もっと昔は列車で遠出するのも不安が大きくて、そういう物語が寄り添ってくれなければ気持ちが持たなかった。

バスの中で何度も硬貨を数え直す村上春樹の僕や、秒速5センチメートルの雪で列車が止まってしまった夜の貴樹くんなんかが必要だった。
今は新幹線で偶に浅く眠るくらいにはなれたけれど、それでもやっぱり気楽とは言えないな。


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絵画を鑑賞する事が好きな友人と落ち合って秋の上野公園を歩いた。これが不忍池かぁと思いながら。

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月の松というのがあって、綺麗な画。

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いつも、こういう所を一緒に歩きたいと考えてくれる友人が本当に好きで、ひとつひとつがとても嬉しくて有難い。

SNSで最近深く関わってくれてる人も含めて
友人達は、これを見て思い出したよ、と言ってくれる人が多くて

自分も、目にした物や話題に誰かを思い出して、話したくなったり伝えたくなったりするから
誰かの好きな世界観を知っていて、日常的に思い出せたり、思い出したりしてくれるのは、星の王子さまの言う星空みたいで
素敵なことだと思う。つながりを感じられる。

例えば、その場所がきっと好きだろうな、と、親しいあの子と一緒に行けたらと考えるとき
本当にそこへ行けなくても、すでにその一瞬は、心は一緒にいるような感じがする。

昔知り合った人を亡くしているし、もう会う事のない人もいるけれど、最終的に形を亡くした人の存在が誰かに残っているっていうのは、そういう事かもなぁとも思う。

他界した祖父のことを思い出すのも、命日よりも風景を見た時だったりするし。
命日は、亡くなった時のことを思い出しがちで、本当に大切な記憶の方は、日常の何気ない瞬間に思い出す。
   


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モネ展は混んではいたから少し観るのが大変だったけれど
やっぱり陽射しの時刻の伝わるような、靄の幻みたいな睡蓮が綺麗だった。


ところで、自分が視力が弱くなってから偶にやることがあって
夜の車の流れを視力矯正無しで眺めること。そうすると車のテイルランプが花火みたく見える。

それに気付いてからは、色の綺麗なところでは、眼鏡の時は外してみる事が偶にあったんだけれど。

モネの絵は、幻惑的で色彩が綺麗だから、きっと綺麗だろうなと思っていて。

TVじゃよくわからないから、実際見られる機会があれば絶対やろうと思ってたこと。
だから、この日は敢えてコンタクトでなく眼鏡で行った。


晩年のモネの絵はとてもタッチが荒くて、解りにくい絵ばかりになるけれど
眼鏡を外してみたら同じ絵とは思えないほどちゃんと風景画になっていた。

不思議なくらい奥行きが出て、どんな風景だったか解る。パステルや色鉛筆で描いた風景画みたいに。水面も柳も射し込む光もちゃんと解る。 

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この絵はまだ普通に見ても解りやすいけれど、これよりずっと荒いやつなんかも、すごく綺麗に見えた。


視力が水中並みに悪い人は、視力弱者の唯一の特権と思って、絶対眼鏡で行って外して観た方がいいと思う。
たぶん人生でこの瞬間だけ、視力が弱くて良かったことは。


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モネ展を観てから、友人が調べてくれていた純喫茶 丘へ行った。 

行く途中にアメ横を見かけて、これもあのアメ横かぁ…と楽しくゲートを眺めた。熱海みたい。

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ここの卵サンド、焼き加減と塩加減が美味しかった。

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なんだかドラマや映画みたいで、純喫茶って面白いよね。
流行のカフェみたいなところより、いろんな人が居て、日常的で。

そういえばこの友人とまえに探偵事務所5の話をした気がする。違ったかな? 君も観たと言ってた気がするよ。
実相寺監督だとか、乱歩地獄だとか、そんなレトロな世界観に魅せられてた日々もあったよね。

ここでもたくさん話をしたよね。


喫茶 丘

https://s.tabelog.com/tokyo/A1311/A131101/13016771/dtlphotolst/

次はボッティチェリ展を見ようと約束して別れた。また春に。

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『モネは本当に柔らかい色彩が鮮やかで
季節や時刻の伝わる風景だから特に思うけれど
一日中その色彩や風景を追い続けて、一生涯の魂をそれに使うというのは途方もないよなぁ…

羨ましいと言ったら軽率だけれど、その苦労を見ないふりで思うわけじゃなくて、美しいものに人生を使うという情熱があるというのは良いな。
自分にも、なにかあれば良かったんだけど。情熱は持とうと努めて起きるものではないからな。』

と、当時の日記に書いていた。
情熱というのは無いし方向性も違うけれど、今はけっこうそんな事をしているような。このまま走りきって人生逃避行したいものだ。立ち向かうとか努力とか、功績とか、そんな大層なものではなくて。

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帰りに駅で購入した、まゆ最中。綺麗な色で美味しかった。

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ボッティチェリ展の話もまたそのうち。


これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!