#6 雨が降るたび、土の匂いのするこちら側の世界では。
わたしはこれまでずっと、
「 自分といろんなものごとが、
一つになれる場所を見つけるまで、
そんな時期が訪れるまで、
わたしは何も所有したくないの。」
と、
「 いつだって靴をぬいでしまいたいの。」
と思っていた。
ずっとそんな風に感じてきた所がございました。
でも本当は何も所有なんてできないようで。
わたしたちの人生なんて、
不安定なままにぷかぷか浮かび続けているこの魂とやらが、
頭のうえに果てなく広がる青い夏空の世界から、
雨が降るたびに土の匂いのするこちら側の世界を、
一巡りする間だけの物語。
その中で握りしめていられるものなんて何一つ無いのでしょう。
すべてのことは、気づいた瞬間にはもう「 今は昔 」。
もう思い出の時代には戻れない。
かと言って将来の不安を先取ることもできない。
そうであるなら、
そのことを悲しむでもなく、
楽しむでもなく、
ただこうして、
人生や風景の中に自分をぐぐぅっと伸ばして、
溶けてゆく。
流れてゆく。
ダンスする。
ただそれでいい、そう感じたい。
それでは流れるところに、流れていこう。
すれ違えた人たちにできる限り親切でいたいと願いながら、
邂逅を得られた泣きたいくらい愛する人たちに
あなたに出会えて本当によかった、のだと
本当に嬉しいんだと、
伝えられることを心いっぱいに祈りつつ。
2023/6/19 生ぬるい風が切ない世田谷より セス・プレート
追伸
これはわたしの中のある種の諦観でございます。
元来、諦めの悪いわたしがこれらのものごとを受け入られ得た理由の一つに
「諦める」の語源は「明らめる」という言葉が由来していると学んだことがあります。諦めるとはつまり、何かしらを明らかにすることに繋がっているというのです。わたしはこれがとてもすんなり腹に落ちたのでございます。
それ以来諦めるという言葉に対する抵抗はあまりなくなり、逆にちょっと
お気に入りにすらなって、ときどきわたしを救いあげてくれますの。
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