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#3 やさしすぎるということはきっと、冷たすぎるということなのでしょう。

「 やさしすぎるということはきっと、

    冷たすぎるということなのでしょう。」

彼女はいつでも、容赦がなかった。

他人にも、自分にも。

ゆえに彼女は他人を傷つける。

それはたしかに事実だった。

それでも彼女はいつでも、

とても自然だったように思う。

彼女は孤立していて、

それでいて寛容だった。

彼女は基本的に無口だった。

でも、よく笑っていた。

でも、どの笑顔も気持ちは動いてないように見えた。

すると彼女は、

「 笑う時はね、嬉しかったり、可笑しかったりして、

 笑おうと思って、それで笑うの。」と、

ひどく素っ気なく、

でもしみじみと言うのだった。


前文はいつかのわたしが読んだ本の一節を
手持ちのノートにいそいそと書き写したものです。
文章が正確だったかもあやしいけれど、
どんな気持ちで書いたのかは憶えております。

この登場人物のふる舞いや呟やきに内包された
相反するように見える2つの性格の、
見事なまでのグラデーション、
その鮮やかな両立に、
強烈に憧れたのです。
それでいて旧友に会えたような、
そんな風に意識が急速に集中していく感覚でした。

やさしいのに、冷たい。


人格的整理は当時のわたしにとって
かなりの難題であり、
人格の混在したわたしはそのせいで、
たくさんの人を愛しすぎたし、
またそれ以上たくさんに人を傷つけてきました。


ゆえにこの文章は混在したままのわたしに赦しを、
そうして自分の内面を収めるべき所に収める、
自分の感受性を曲げも隠しもせずに、
抱きしめておく術を得る機会をくれたのでした。

今のわたしというと、

やさしさ ≒ 孤独の所作
冷たさ ≒ 愛の所作

あの登場人物が持ち合わせていたのは、
もう一つ深く、切ない相反関係ではなかっただろうか、
そうしてやっぱり心というのはどれだけ混沌としていようとも、
そのまま、それが、ありのまま、なのではないだろうか。
そんな風に想う次第です。

 2023/6/14  静かな世田谷の棲家より  セス・プレート

追伸
この文章を書きながら「ジブリ・夏夜のピアノメドレー」を
聴いていると、思考も心もこわいくらいに無色に澄みきってきてしまったので、ぎゅっ! ごぎゅっ! ずじゅっ! と用意していたレモンサワーを頂きました♩こんなタイミングで飲むに相応しいお酒があれば教えてくださいませ。ではおやすみなさい。





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