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#8 愛の育て親は、きっと「痛み」でしょう。

「省察を生むのは年齢ではなく、きっと痛みでしょう。」

人生とは、
生きていくとは、
なんて苦しい道のりなのでしょう。

まさかこの水の星は、
わたしたちの苦しみを吸いあげて、
それを動力に回転を続けていたりするのかしら。
それならそれで、
きっとこの星も孤独の苦しみのうちに、
ぐるぐると頭を回していることでしょう。

日々の暮らしを人生の最小単位として、
自身の生活や心を運営するだけでも一苦労だというのに、
もう一段広いマトリクスで人生を眺めると、
太古の昔から遥か先の無限大にむかって滔々と流れる、
ぞっとするほど悲しい生命の川が、
いま目の前にあるこの時代もまるごと、
静かに包んでいることに気づく。

自身を営むため、
都会で一人暮らし、
懸命に仕事をする。
夢を追う日々。

その現実には同時進行で、
これ以上の存在などありはしないのだと
身が切れるほどに分かっている愛すべき家族が
故郷でまた、同じ時を生きている。
離れてもなお、愛を届けてくれる者を遠くに置いて、
今しかない人生の時間をもっと一緒に過ごせるというのに、
それでもなお、夢を追う。自分を選ぶ。

いつかわたしは最も大切なものを蔑ろにしたのだと
後悔する時がくるでしょうか。
きっと来るのでしょう。

それでも今、わたしはわたしの道を選んでいる。
いずれ訪れるそのタイミングを知っていながら、
一人歩くわたしの愚かさを、
残酷さを認めない訳にはいかないでしょう。


わたしはふと、このまま壊れてしまいたいと願う。


それでも、
それでも、
それでも、

たとえ目に映る選択が、
そうであったのだとしても、
わたしの彼らへ向ける愛もまた、
同時進行で降り積りつづけ、
わたしの孤独が深まれば深まるほどに、
その信心は純度を増していくように感ずる。
ゆえにわたしは、
孤独を育てることを選んだ。


いつかの日か、
わたしから落ちた愚かさの種子は、
やわらかな春風にのり、
愛する者の心にふわりと下り立ち、
かわいい一凛の花を咲かすでしょう。
そう祈る。疑わずに。一心に。

すべての淋しさと悲傷を愛の火に焚べて、
わたしは透明な心でこの道をすすみたい。

この星の動力も愛であればいいなと思います。

  2023/6/23   霧ふく午後の渋谷より   セス・プレート

追伸
何かを得る時は、何かを捨てなければならない。確かにそう。
そうして人生が選択の連続であるならば、わたしたちはいったいどれほどの分量を切り捨てることになるのでしょう。ちょっと恐ろしい。
それでも人生はあなたが身を置いている所にできるものという事実と、
人生はあなたがいたい所に心を置けるというもう一つの事実がある、と
そう思うのです。



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