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#7 髑髏になったが、どれもたしかに恋だった。

「 そのひとはね、うんと素敵な人だったと思う。

育ちがよくてね、

長子らしい生真面目さでね、

いつもしゃんとしていてね。

涙もろくてね。

とても賢くて聡明な頭脳の持ち主なのに、

問題が起こるといつも自分のせいなんじゃと

苦心してしまうようなやさしい心の人だった。」


人は恋に落ちる時、

どうしてそれが恋だと分かるんだろう。

それらの現象は生涯を通し、

ごくごく個人的なものであって、

誰かに答え合わせをしてもらるようなものではないのに。

それでも思い返せば、

はじめて好きな子ができた時、

すでに悟っていたようだとも思われる。


そうして一旦落ちてしまったら最後、

浮上はなかなか困難な事態になってしまう。

まあそれが醍醐味かしら。

これが最後だとも思えない程度の恋なんて

きっと暇つぶしにもならないし。

例えばその後またいつかの素敵な出会いが

待ってくれていたとしてもね。

それなのに最後は、

あの恋情と欲情とをはらんだ強烈な熱風も、

しきりに吹き荒れたあと、

ひと息ついてしまった刹那には、

徐々にその速度を落とし、

静かに、所在なさげに、冷えてゆく。

そのサイクルの必然にみんないつか気づいてしまうから、

たまの仕事中とか、

居心地の悪い呑みの席とかで、

これまでの恋人たちのことを一人ずつ思い出しそうと試みたりする。

欠けた硝子の縁をなぞるみたいに。

もはや筋合いもない弱い痛みを感じながら。


それでも恋人たちは乱暴にきらめいては、

時代の道端に残骸を残す。

風化する髑髏のそばで、

ふとした未来で花が咲く。

「 ああ、やっぱり恋だったんだ。」

苦い気持ちと裏腹に、

残すはシンプルな真実と麻薬性ってところかしら。

それでは皆様、

未だ学問にもできぬ現(うつつ)の余白に甘んじて、

ララ、ラララ。

世紀のロマンスを引き続き 〜♩♩♩♩♩〜

          2023/6/22  曇りの渋谷より    セス・プレート



追伸
わたしが馬鹿なことをする、それを見る恋人の呆れた顔。それでもなお十分に愛情とおゆるしを含んだ表情というのがとっても好きでございます。
それを見るたびにわたしは歓喜して、お礼を言って、また馬鹿なイマジネーションを企んでしまうのです。やっぱり恋は楽しく、恋人は素敵です。
恋をしている間は楽しいし、終わればそれで清々しいし。w




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