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電話取材した中学生に教えてもらった、生きていくうえでもっとも大切なこと。

「もしもし、A君ですか? 記者の小川こころです。このたびは〇〇〇賞の受賞、おめでとう! 今日は電話での取材になりますが、よろしくお願いします」
「あ、ありがとうございます。〇〇中学3年のAです。えーと、ちょっと緊張していますが、よろしくお願いします」

10月初旬の夕方、こんなやりとりで始まった、中学3年のA君への電話取材。
控え目ながら、芯の強さと誠実さを感じる、爽やかな声。

彼の緊張を少しでも和らげ、想いをのびのびと語れるように、私はいつもよりややトーンを高めに、ゆっくり、カジュアルな口調を意識しながら、インタビューをスタートしていく。

理想は、「近所に住んでいる憧れのお姉さんと心優しい少年の気軽なおしゃ
べり」(はぁ? 誰がお姉さんだって??? この設定にはかなり無理がある!! という反論は受けつけておりません)。

まあ、そんな妄想はともかく、
いったいなぜ、私が中学生に取材をすることになったのか?
その理由を手短に説明しよう。

今年の夏休み、某新聞社主催の作文コンクールが実施された。
募集の対象は、小学生と中学生。
今年だけでなく、毎年この時期に開催されている、恒例のコンクールだ。

私はこのコンクールを主催している新聞社に、以前、記者として9年ほど勤務していた経歴がある。古巣ってことね。

文筆業で独立した現在も、古巣の仲間や知り合いから「このイベントの取材をお願い!」とか「この人物にインタビューして原稿を書いて!」のように、記者としての助っ人依頼が入れば、できる限りお手伝いに馳せ参じている。

というわけで、今回の作文コンクールにおいて、私は最終審査会に出席し、審査にまつわる諸々の取材や原稿執筆を任されたのである。

そう、すでにお察しの通り、中学3年のA君は、このコンクールに文章作品を出品し、15000人もの応募者の中から、たった数人しか選ばれない、栄誉ある上位入賞者に選考されたのだ。

はい、ここで冒頭の会話に戻ろう。
かくして私は記者という立場で、
受賞者のA君に電話取材(今ここ!) ⇒ 彼のコメントをもとに原稿を執筆 ⇒ 新聞に掲載する、というミッションの真っ最中だったというわけだ。

A君は、自身の執筆した作文のなかで、体のある部分に障害をもつ友人・B君のことを書いていた。
二人は小学1年生のころからの幼なじみである。

小学2年のころ、ふとしたきっかけで、A君は不登校になってしまった。すると、それまで仲良くしていた友だちが次々に彼のもとから離れていき、A君は不安と孤独で、ますます学校に通えなくなった。

そんなとき、A君に寄り添い、ずっとそばにいてくれたのが、B君だった。
学校帰りに必ずA君の家に立ち寄り、一緒にゲームをしたり、マンガを読んだりした。

「B君がそばにいてくれたおかげで、少しずつですが、学校に行ってみようかな、という勇気が持てたんです。彼がいなかったら、ずっと不登校が続いたかもしれません」と振り返るA君。

A君が学校に再び通うようになり、数年後、想像もしない事故が起きた。
B君が交通事故に巻き込まれ、体のほかの部分に、さらに障害をもつことになったのだ。

「いつも元気なB君も、その当時は、つらくて悲しくて、泣いてばかりいました」。
そんなB君の姿を目にして、A君は迷うことなく行動に出た。

「ぼくが不登校だったころ、B君は、ただ、ずっとそばにいてくれました。それがどれほどぼくの力になったか、言葉では表せません。だから、今度はぼくの番です。B君がつらいときは、ぼくがずっとそばにいると決めていましたから」。

ただ、ずっと、そばにいる。
がんばれとか、元気出してとか、余計なことは何も言わない。
一緒に過ごし、一緒に遊び、一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に歩く。

生きる上で、もっとも大切なことは、
勉強ができることでも、お金がたっぷりあることでも、地位や名誉があることでもない。
ただ、一緒に時間を共有し、とことんつきあってくれる相手がいるかどうか。

こういう相手がいることで、
私たちは、初めて自分自身を認め、理解することができる。
そのうえで、自分のやりたいことを見つけ、夢に向かって邁進し、日本や世界を変える人になっていく。人生の勝ち組って、こういうことなのだ。

そんな大切なことを、A君との10分ほどの電話から学ばせてもらった。
「いま、B君は運動部のエースとして、大活躍しています。すごくカッコいいんですよ」
まるで自分のことのように、嬉しそうに、誇らしげに語るA君。


そんな君も、B君と同じくらいまぶしくて、最高にカッコいいよ。


それを伝えたくて、新聞に載せる原稿を書いた。
君は、気づいてくれるだろうか。

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