エーワン新倉を成功へ導いた名言たち-第3回
こんにちは、エーワン新倉です。
私、新倉利幸は、株式会社エーワンを創業し代表取締役を務めています。
現在は経営をメインに活動しています。よろしくお願いします。
エーワン新倉を導いた名言
今回は、稲盛和夫さんの名言をご紹介します。
私、エーワン新倉は、城西大学在学中に故石井紘基衆議院議員の秘書を務めていた経験があります。
当時は、卒業後もしばらく政治活動に関わり、働いていく中で、なんとなくこの先もこの活動で食べていくのだと思い込んでいました。
しかし、政治活動の場よりも経営に携わる仕事に就きたいという思いが強くなったことから、1993年に化粧品の実演販売会社に転職し、1年後にはその子会社の立ち上げに携わり、実質の経営者にまでなることができました。
また、独立後には1998年に株式会社エーワンの全身となる「エーワン」を創業しました。
最初はとても大変な経営状況でしたが、ともにエーワンを創業したパートナーとの死別も経験し、「なんとしても彼と創業したこのエーワンを守り抜く」「成功させる」という強い思いに何度も助けられました。
成長意欲以外にも、彼の意志を継ぐという強い思いがなければ、今のエーワンはなかったと思います。
この思いが行動となって現れ、今のエーワン新倉がいると思うと、パートナーには感謝してもしきれません。
稲盛和夫について
稲盛和夫のプロフィール
名前 :稲盛和夫
ふりがな:いなもり かずお
生年月日:1932年1月21日-2022年8月24日
職業 :実業家。公益財団法人稲盛財団理事長。日本航空名誉会長。
一時経営破綻した日本航空の再建にリーダーシップを発揮するなど、日本経済に大きく貢献した人物。
稲盛和夫の経歴
1932年、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。
銀行就職を考えたが周囲の勧めで、旧制鹿児島中学校から新制鹿児島市高等学校第三部に進学。
大阪大学医学部薬学科の受験に失敗。
当時、新設大学であった鹿児島県立大学(後年鹿児島大学に統合)の工学部応用化学科で、有機化学を専攻。
1955年(昭和30年)、鹿児島県立大学工学部を卒業。
卒業後、有機化学の教授の紹介でがいしメーカーの松風工業(歯科器材の松風とは創業者が同じ別会社)に入社。
1958年(昭和33年)、退社。
2022年8月24日、老衰のため自宅で死去。享年90歳。
エーワン新倉とは
エーワン新倉の経歴
名前 :新倉利幸
ふりがな:にいくら としゆき
生年月日:1970年12月21日
1993年に経営に携わる仕事に就くことを決心。
化粧品実演販売会社に転職。
1年後の1994年には転職先の子会社を立上げ、実質の経営者となる。
その後独立。1998年現在の株式会社エーワンの前身となる「エーワン」を創業。
パートナーの意志を継ぐという強い想いのもと有限会社エーワンを設立。
エーワン新倉の事業
化粧品・日用品メーカーの販売請負(セールスプロモーション)
インバウンド対策として通訳スタッフの派遣
ReFaブランド(MTG社製造)をフィットネスクラブやショッピングセンターにおいて催事販売
姿勢をサポートするStyleショップの運営
日本化粧品協会認定講師の派遣
エーワン新倉・外部リンク
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