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送信履歴♯♭13 《最終回》 〓再起動〓

自由意思で選ぶことを覚えた彼らは、自由を謳歌し歓喜した。
分かれ続ける道を選び続けることを望むこともできた。だが小さな人たちは結局、外界から守られた閉じた世界で、煩わされることもなければ怯えることもない共有する道を選んだ。最後の選択だった。
自由は謳歌し歓喜できるものではあったが、選択の幅が広すぎて時に行く手を見失う。さて、どこに向かおうかと立ち止まった時、心がざわめきだった。選択のフィールドには定まった足場が存在していないことに気づいたからだ。
とたんに底知れぬ不安に襲われる。安定の足場は、自身で決意しない限り定まることはない。
選ぶことは決めること。
彼らには、決め続けることができなかった。
決めれば問われるから。
「責任はおまえが負うんだな?」、地響きの声が彼らに詰め寄る。
彼らはもともと決められた者、すなわち従うだけの者だったのだ。

それはすなわち、元の世界を取り戻すことであった。だけど、共有することよりもおのおのが考え、選択することを知ってしまった小さな人たちのこれからは、これまでとまったく同じというわけにはいかない。ちょっとしたきっかけが過去を掘り起こし、郷愁に胸を痛めることもあるだろう。


「だから、無理して理解し合おうとするのはやめましょう」
君が部下の彼女にタンカを切った、それを僕が共有した。
「どういうことですか?」と彼女が真っ向から受け止め喰ってかかる。
「私の言いたいのは、迎合して無難なものにまとめるより、ぶつかってよりいいもの、考えていた以上のものに仕上げたいということなの」
君はしっかりとした口調で、彼女に君の意志を届けようとしている。
彼女の顔が強張った直後、緊張をつなぎとめていた糸を抜いたみたいに顔をふっとゆるめた。
「そうですか」、彼女は少し残念そうに額に翳りを見せてから、張りのある笑顔を作って君を直視する。
それでいいのよ、と君は受け止めている。それでいいのよ、を僕が共有する。
「わかりました」、彼女の返答は晴れやかで、すがすがしかった。

いろいろなことが収まっていく。

僕の元に1通のメールが届いた。彼らからだった。
ひととおり読んだあと、君に転送するつもりだ。

(【受信】差出人:     )
〉みんながひとつになりました。危機は乗り切りました。
〉そちらに流れ出したワタシタチの共有が巻き戻り始めたのです。

〉そうそう、あの鬱陶しくもおぞましい4つ目の月が最近薄いのです。幻のようにかすれてきて、今にも消

そこでメールは途切れていた。
中途半端だけど、すぐに君に文面を転送するよ、そう僕は念じたけれども、君が共有しているという実感が濃度を薄め、かすれて消えた。


そういえば、彼らは4つ目の月を命運の月と呼んでいた。三文漫才師の聞くに耐えない駄洒落じゃあるまいし、「命運尽きた」は我々にかかっているのじゃない。それこそお笑い種で、4つ目の月のほうにだった。

あの月がもたらしたのは、共有することの意味を僕らに考えさせることだった。手放しの共有は誤解も生まなければ、猜疑をふくらませることもない。疑いの余地さえ入り込めない完成された意思疎通。
それはそれで強力な結束の結晶と言える。
でもそこにはまた、落とし穴を知らしめようとする警鐘が織り込まれていた。わかり合えることに安堵の息を吐きあぐらをかいてしまうと、先に進む力を失くしてしまう。
先に進む力とは、切り開く意志。誤解は修繕のテコであり、猜疑、つまり疑問は正解への舵取りだったのだ。

さあさあ、どちらに賭ける? 
長か半か? 
選ぶ地獄か、選ばぬ監獄か?
決意の選択を突きつけられる生き地獄か? はたまた、従わされるだけの監禁地獄か?

僕たちは一見、元に戻ったように見える。だけどそれは見かけは、という話にすぎない。
小さな人たちが純粋無垢な従うだけの者から選択の苦難を知ったうえでの従う者に変化したように、僕たちは“意思と意味を伝えにくい”世界に、共有することで究極の以心伝心を体験した者として戻ってきた。
見たくれは変わらなくても、僕らも彼らもこれまでとは違う。見た目は同じでも、中身が違う。

たとえ現状がそのままのカタチで継続していても、共有を体験する前の現状維持に対する見方とは違ってくるはずだ。知ってしまった今、新たな航路に舵を取る必要に迫られた際に迷いはない。仮に躊躇したとしても、決断への道は確かで短い。

「さようなら。ありがとう」と僕は小さな人にメールを書いた。
返信はなく、代わりにfailed your message が受信欄に現れた。
それでも僕は「こちらこそ、ありがとう!×5」と返信がきたと思い込むようにした。それが僕らが交わした最後のメッセージだったのだと。


「お待たせ」と僕は君に手をあげて合図する。
旅行鞄を右側に置いた君は、荷物が気になるのか空いた左手のほうを上げて僕に応える。
「どこに連れて行ってくれるの?」と君が温泉地を尋ねる。
「電車に乗ってからのお楽しみ」と僕は期待値にバッファを乗せる。

僕たちはすでに、言葉で、その言い方で、添える表情でしかわかり合えなくなっている。
もう、共有することはできない。ある意味で元に戻ったのだ。
それでも僕は、こうしたやりとりが嫌いではない。むしろ心地よくも思える。
共有することがどういうことなのか、どのようなものをもたらすのかを知った今、それができなくなったことで生じるもどかしさが無作法なフライングのように気持ちを急かすこともある。
だけど、共有できないことが前提でもいいじゃないか、と今なら断言できる。
ーーすべてを共有すること、理解することが、人と人との結びつきを強固にする、むしろそうあったほうが人間関係はうまくいくーーそのように考えることもできる。
確かにそうかもしれない。
そう思いながら僕は腹の底で、だけどそれは理論的には、と無言で添える。現実社会では風も吹けば人波が行く手を阻むこともある。最良だと思った選択が他人の選択によって挫かれることもある。多くの場合、自分の選択は折れるか譲るかで折り合いをつけていくことになる。正論をかざして邁進しても、立ちはだかる壁が強固になるばかり。意志は疎通させなければならない。疎通させなければならないと覚悟を決めなければならないほど、もともとが疎通させにくいものだったのだ。

考えていること、思ったことを共有できれば物事をシンプルに片づけられるようになるだろう。だがこれでは、事態は悪化もしないけれど好転もしない。物事の時間が淡々と進むだけで、進化はしない。

すべてが共有される社会は、小さな人たちに任せておけばいい。彼らのルールは彼らのものとして、そっとしておくのがいい。
僕たちは彼らとは違う。
僕らの世界での共有は容易ではないことも事実だ。複雑で面倒で煩雑なつながりが共有を阻んでもくる。

僕たちはこれまで選ぶことをしてきた。これからも岐路は現れ、考え迷い決断し、進むべき道を自らの意志で選んでいくことになる。

念じて通じる世界より眼光紙背に徹したほうが、なんというか、味があるじゃないか。深みがあるじゃないか。その余白みたいな領域で、僕たちは夢を描く。従うだけの者にはできない進化のための自由な夢を。

君は行き先を教えてもらえないことに“ご機嫌斜め”を、頬をふくらませることで表した。
僕がそれを見て、安心する。
表し、感じ、受け取る。
この、気持ちの押しつ引きつつのやりとりが、嬉しくて、愛おしい。
たまに、すれ違うこともあるだろう。正面からぶつかることもあるだろう。僕が彼女の主張に吹き飛ばされてしまうこともまた。
それでもいい。
それだからいい。

「行こう」、君の左手側にまわった僕が、腕を組んでと右腕で催促する。
まったくもう、を表した君は、まんざらでもない顔で左手を僕の右腕のまわす。
ふたりの距離がぐっと近くなったその瞬間、僕は君の髪に重みのないキスをする。ふれた瞬間に消え入るようなキスだったけど、込めた意味は大きい。
共有する力は消え失せていたけれども、君に僕の気持ちが入り込んでいくのがわかる。君は僕の気持ちを手放しで受け入れていくのがわかる。

君の表情に、鳴り響く幸せの鐘の音が見えた気がした。

(完)

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※『発信履歴』は21話から成る連載小説です。以下の順で書き進めさせていただきました。

♯1→♯2→♯3→♯4→♭1(♯4‘)→♭2→♭3→♯5(♭3‘)→♭4→♯6→♭5→♯7→♭6→♯8→♭7→♭8→♯♭9→♯♭10→♯♭11→♯♭12→♯♭13(完)

この道に“才”があるかどうかのバロメーターだと意を決し。ご判断いただければ幸いです。さて…。