2020.3.10


すべては想像力の問題なのだ。
僕らの責任は想像力の中から始まる。
イェーツが書いている。
In dreams begin the responsibilities
-まさにそのとおり。


 村上春樹の海辺のカフカの一節に出てくるこのメモは、小説全体の主題を表している。

 でも実際は、責任が最初にあってそこから想像力が生まれることの方が多いように思う。責任を持つというのは想像力を働かせることなのかもしれない。


想像力のないところに責任は生じない


 想像力がない人は責任を負わなくていいのか、という問題が出てくる。これは難しい。


 そもそも責任がないことについて、想像する必要はない。そして何に責任を持つのかは個人の選択でしかない。


うつろな人々について

想像力が欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空虚な言葉を並べて、他人に押しつけようとする人間だ


 この台詞は、女性の地位向上のための取り組みをしている人たちがいきなり入り込んできて無理な要求する場面のあとに語られる。

 想像力が欠けていることへの自覚がなく、色々なことを他人に押し付ける人を、T.S.エリオットの「うつろな人間たち」を引用して批判している。作者の小説の中ではかなりはっきりとした意見である。

 想像力のないところに責任が生じないとしても、想像力のなさが生み出す不寛容さについてかなり厳しく捉えているということだ。


 また、哲学者の岸見一郎さんは、大人であることの条件を以下の3つとしている。

①自分のことを自分で決められること。
②自分の価値を自分で認められること。
③自己中心的な考えから脱却すること。


 ①の自分のことを自分で決められる、というのは、決定権を自分が持つことで責任も自分が持つということだ。他人まかせにすれば、他人のせいにでき、責任を負う必要がない。

 ③の自己中心的な考えから脱却する、は想像力を使うということだ。想像力を自分のことについてではなく、自分と関わっている周りのことについて働かせる。
"自己への執着を他者への関心へ"である。


 どこまで自分の責任は生じるのか。自分の関わっているものの範囲とは何なのか。それは考え続けなければいけない問題だろう。


 また、自分のことに責任を持ち、周りに対して想像力を働かせるということは、現代社会のさまざまな問題を考える上でも必要なことである。


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