気持ちのリハビリの記録|膠原病 退院後の生活【その4】 全身が重い原因って?
起きられなかった。窓の外は、朝よりも強い黄色い陽射しになっていた。在宅療養5日目、「退院後も自分でリハビリを続ける!」と意気込んでいた気持ちは、すでにしぼんでしまっていた。
この頃のことについて、少し詳しく書いてみる。
振り返ってみると、実は今も状況はあまり変わっていないことに気づいて、ちょっとショックだった。「体の重さ」の頻度が少なくなり症状が軽くなったこと、対応策がある程度できてきたことで、何となく治ったように感じていたが、実はあまり変わっていないのだった。
それとこの時点で既に、考えられる(意識できる範囲の)主な原因がひととおり挙がっていることに気づいた。その後対策も、これらに沿って考えられているようだった。
①寝不足について
今思えば、「ステロイドの副作用の過覚醒」かな、とも思う。
私は、病気前から夜更かしではあった。夜にやりたいことがたくさんあって、眠る時間を削ってやっていた。読んだり、書いたり、物を作ったり、音楽を聴いたり。夜には、机につけたの白熱球の電気スタンドの下で、自分の世界に没頭することができた。
入院中も夜更かしだったが、活動量が少なすぎるのと、昼はいくらでも眠れるので、夜にあまり眠らなくてもいいと思っていた。
この夜更かしが「ステロイドの副作用」と言い切れないのは、入院後、ステロイドパルスを始める前の数週間も、眠る時間は遅かったからだ。
発症した後の在宅~入院中の眠れなさは、自分が一体どうなってしまったのか、これからどうなるのかを考えて、目が冴えてしまう感じに近いように思う。夜中に、暗闇の中で、自分と時間を見つめていた。
ただ、どんな理由にせよ寝不足で体にかかる負担は大きく、病状に良くない影響があるのは確かだろう。「眠りたい」とか「眠れるか」に関わらず、時間で管理して入眠した方が良いのだろう。
②手続きのストレス
職場からの引継事項の連絡を受けて、作成して経理職員に提出しなければならない書類がたくさんあった。それ以外にも、保険関係等の作成書類が多数あった。(退院後の手続きのリストを「<その12> 生活リハビリの振り返り(まとめ)」に書いた)
私は数か月間、社会からの落伍者でいたので、そういった「社会とのやり取り」は、とても気持ちの負担になっていた。気力が起きないと同時に、頭も回らず、人に何かを依頼するのも億劫だった。自分で何かをできる、こなせるという自信も失っていたのだと思う。
③人と会ったり、電車に乗った疲れ
前日に、職場の主任と外で引継ぎをしていた。自宅と職場の中間あたりのターミナル駅まで電車で行き、喫茶店で2時間くらい話した。
内容は、決して厳しいものではなかったが、人と話すのは疲れるのだと思う。入院中にも、見舞客への対応は、とても消耗した。
人と話す時には、頭がフル稼働して、繊細な思考をして、言葉を発しているのだろう。それが、病人の体には堪えるのだった。また、往復で約1時間半電車に乗ったのも、とても疲れることだった。
本当は、こんな風に、自分にとって何が負荷になるのかを考えて、計画を立てたり、行動をセーブしたりする必要があるのだと思う。でも、本格的に仕事が始まると、自分のペースだけで予定をコントロールするのはとても難しかった。そんなこともあってか、社会復帰二年目に症状が再燃してしまうのだった。
④入浴後の冷え
冷えが苦手になったのは、この年の夏に冷房で痛感した。免疫抑制剤を飲んでいるので、冷えで簡単に風邪をひくだけではなかった。全身の倦怠感や、動けなくなる体調は、背景に冷えがあることが頻繁だった。
対策として、現在も、夏でも薄手のウインドブレーカーを必ず持ち、いつでも羽織れるようにしている。また、ほとんどの季節に、足首からふくらはぎをカバーできるレッグウォーマーを使っている。秋口から春までは、綿100%の薄手のマフラーを室内でもしていることが多い。
⑤今後のやることや、偉い人への挨拶や報告が負担か
まず、私は偉い人が好きじゃない。ちゃんと振舞おうとして、無駄に疲れてしまう。できれば、避けたい場面だったが、休職からの復職は、キチッとした報告をする必要があった。
でも、自分の体のこともこれからのことも、初めてだから、わかる訳がない。そんな状況で、何をどう説明して理解してもらえばいいのかを考えると、気が重いと言うよりは、途方に暮れて、何にも手がつけられなかった。
また、復職に向けて、実際にやらなければならないことは多かった。新しい職場にも行かなければならなかったし、職場に着くまでの経路の状況も確認する必要があった。新しい場での人間関係を始めるのも気が進まなかったし、そもそも私物や仕事に必要な物品は、入院前の職場に置いたままだった。前職場に片づけと荷物の引き取りに行く必要もあり、これも、とても嫌な作業だった。この頃の私は、「嫌だな」「気が重い」のかたまりだったのではないかな。
⑥自分の自由な時間がうまくとれていない
これは、私の中に、大切にしているパターンとして、常にある。入院中に文章を書いていたのも、夜中に起きて自分を見つめていたのも、このためだった。
元々社会生活ではストレスを感じやすく、環境に適応しようと精一杯な私だから、自分を取り戻す時間が必要だった。自分を確かめる、振り返って自分をもう一度一つにする、というような時間だった。これをしないと、落ち着かなくて、自分を見失ったような感じになる。だから、入院前のストレスフルな職場では、なおさら眠る時間を削ってでも、夜中に帰ってから、自分のことを紙に刻んで言葉にしていた。
本当は違うのかもしれないけれど、「ストレスフルな状態だから不調になっている」という感覚がある。だから、自分を取り戻す時間によって、自分の心身を解放できると思っているところがある。
鬱は、その病因も神経伝達物質であり、症状は体に出る訳だから、気持ちの問題ではないのかもしれない。それでも、この後も十年にわたりずっと、気持ちを解放できる方法を探し、やってみている。そんなやり方で、気持ちが切り替わる、倦怠感が払しょくされる感覚がある。本当は疲れを上回る興奮や快があるだけで、倦怠感が消えた訳ではないのかもしれないけれど、私なりの倦怠感をクリアする方法の一つが、自分と向き合う時間だった。
文・写真:©2023 青海 陽
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