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1st Album 『Aoki Ken』ライナーノーツ

2012年にリリースした自身の1st Album『Aoki Ken』が、Apple MusicやSpotifyなどでも聴けるようになりました。

タイトルが"Aoki Ken"って、自分の名前って、他になかったのかよって感じなんですが、アルバム制作したのがサラリーマンを辞めた翌年で、音楽家として生活していくための "名刺代わり"の音源を作ろうとしていたことがそのネーミングの由来にあります。

当初はCDをメインに販売していました(現在でも、1stと2ndのCDをBASEにて販売しています!!)が、映画『わたしは分断を許さない』のサントラ配信でお世話になっているTuneCore Japanさんが、新型コロナによる影響を受けたアーティストやミュージシャンへの活動支援・サポートとして、全サービスの無償提供を期間限定(〜2020年5月31日)で行われているのを知り、折角の機会なので、この音源をサブスクでも聴けるようにしようと、配信を始めさせて頂きました次第です。

このアルバムはリリースが2012年の初秋だったんですが、それ以前に作曲もしくは録音した音源を織り交ぜた、当時の青木健"ベスト盤"のような音源にもあたる気がしています。ただ、CM音楽の仕事をしたい!と思っていた割には歌モノが多く、"名刺代わり"として適切ではない感は正直否めないのですが...、その後の音楽活動の基盤的な存在になったとも感じています。


また、ジャケットデザインはアーティストの奥下和彦さんに制作して頂きました。最近は少しご無沙汰になってしまっているんですが、奥下さんには1stの後にリリースした2nd Album『ONKEI』のジャケットデザイン、及びそちらに収録された「ハシルマチ」のMVも制作して頂きました。


今回の配信では、CDの表ジャケットのみしか観ることが出来ないのですが、CDではこんな感じにパッケージデザインして頂きました。

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10年近く経っても色褪せない、最高にかっこいいです。


さて、今回の配信にあたり、久々にこの音源を通して聴いてみました。自分なりの制作当時の反省点が多々あったのもあって、最近まであまり聴かなくなってしまっていたのですが、8年経って聴いてみると、想像以上に良いアルバムだなと、我ながらに思ってしまいました。

このアルバムを制作した当時は作曲にあたって、売れる楽曲を研究したり意識したり、音楽理論を調べては駆使してみたり、といったことはほとんどせずに、ありのままに作っていったというか、頑張らずに気張らずに制作した記憶が残っています。そこを、"頑張りが足りなかった"と後に捉え、次こそは完璧な妥協の一切ないアルバムを作ろうと制作したのが2ndアルバム「ONKEI」でした。

今聴くと、1stのこのあまり力の入ってない具合がどこか心地好いというか、完璧に作ろうとした2ndよりも好きなアルバムな気もしていて、まわりからの評判も売上も、この1stの方が優れているのも何かの表れなんでしょうか。

一方で、全体的に良くも悪くも、一筋縄ではいかない構成のモノが多く、マイペースに作った中にも創意工夫している感じがあったりして、2012年当時の自分がそこに浮かび上がってくるような感覚といいますか、聴いててなんだか愛おしい気もしてきます。


さて、前置きが長くなってしまいましたが、ライナーノーツ2020年版、記していきたいと思います。


M01.想い出す頃

大学4年の終わりの時期に、当時活動していたaomune(あおむね)というバンドのために作った歌モノです。バンドのライブでも必ずと言っていいほど演奏していました。この楽曲のお陰で、後に沢山の出会いがありました。

ジャーナリスト堀潤さんとの出会いも、この楽曲がなかったら難しかったかも知れません。堀さんの第1作目映画「変身 -Metamorphosis」のエンディングにも起用して頂きました。radio sakamotoのオーディションコーナーでも流して頂いたこともありました。その時には坂本龍一さんからの手厳しいアドバイスも頂きましたが...、奇しくも映画「変身」のオープニングに坂本龍一さんが参加させていたというのも何かのご縁を感ぜずにはいられませんでした。(未だお会いしたことはありませんが。。)

ちなみに、この楽曲を始めて人にお披露目した時のことを今でも鮮明に覚えていて、それは当時よく練習場として使っていた大学の軽音部の所有する練習部屋でした。そこに一緒にいたaomuneのギターを弾いていたM君がこの楽曲を始めて聴いてくれた人になります。それまでバンドでなかなか良い楽曲を作れずにいた頃でもあって、新曲だよと言ってこの歌を歌った直後のM君の顔つきと反応が今でも忘れられないといいますか、一言「いい曲だね」と言ってくれたあの言葉のトーンに救われたような気がしたのを覚えています。その後バンドは勢い付いて、都内や地方でもライブ活動をしましたが、最終的には自身とM君との折り合いが合わなくなってしまい、バンドは解散しました。

ソロの音源にこの楽曲を収録したのも、自分の中で絶対に歌い続けるべき楽曲だと信じていたのと、自分一人の力でどこまであのaomuneのバンドサウンドとは別の音楽になれるのか、チャレンジしてみたかったのがありました。でも、あのバンドサウンドの、M君の印象的なフレーズがなければ、この楽曲は本当の姿には成り切れない、そんな気もしています。


M02.NO COLORS

バンドが解散した後の、サラリーマンをしながら音楽活動をしていた20代後半期に作ったアコースティックな歌モノです。この楽曲のアレンジをするため、会社から帰ってその後夜中まで一人で近所のスタジオにこもって、それで翌日遅刻をする、なんてサイクルをよく繰り返していました。。

当時大好きだった同世代のミュージシャンのトクマルシューゴさんの音楽に負けない雰囲気の楽曲が自分にも欲しくて作り始めたんだと思います。音楽的には、これまた当時から大好きで今でもよくカバーをしているRyo Hamamotoの「From Now To When」にとても影響を受けています。アコギはDADGADの変則チューニング。理論も何も知らない当時に、ほぼ手グセで作っています。

この曲は録音し直したい気持ちが正直ありまして、特に歌なんですが、ちょっと嫌味に感じるんです。当時「いい声ですね」とよく言われていたのを利用したというか、変に「いい声」アピールしちゃってる感があるんです。こういうところですよね、僕のダメなの。


M03.春待ち風

このアルバムを制作する直前まで"1日1曲楽曲を発表するキャンペーン"をしていたことがありました。このアルバムにはそのキャンペーン期間中に作った楽曲が何曲か収録されていますが、この楽曲もその1つです。

確かこれを制作した2012年の春は、いつまで経っても冬みたいな寒さが続いていたと思います。それを憂いて作った曲です。

お名前を失念してしまったのですが、民謡を唄うある女性三味線奏者の方の歌から影響を受けていまして、端唄のように?伸ばし目に歌うのが特徴的かと思います。それあって、歌詞も短めです。

アレンジ的には、新型コロナの影響で来日が延期されてしまいましたがStereolabの影響が大きい気がします。なんとなく。特にベースの感じとか。

個人的にも気に入っているオリジナル楽曲の1つです。


M04.オモイ ヒビ

上の「M03.春待ち風」に引き続き、こちらも"1日1曲楽曲を発表するキャンペーン"で制作した楽曲の1つです。

ですが、この楽曲は1日では完成していないと思います。2〜3日はかかっているんじゃないでしょうか。このキャンペーン、結局90曲ちょっと発表して止めてしまうのですが、1日で完成した楽曲はほとんどなかった気もします。

そんなキャンペーンの中で制作したものあってか、曲に対する思いとか背景は残念ながらそれ以上は思い出せないのですが、当時青木健がアコースティックなイメージを持たれている印象が自分の中にあって、俺はエレキギターもギュインギュイン弾くんだぜぇ!みたいなのを周囲に表現したかったのかも知れません。歌を、オーバードライブとトレモロを効かせたエレキギターが邪魔しているようなミックスになっているのも、そんな心情があったからかも知れません。この楽曲も割と気に入っています。


M05.朝

当時にしては珍しく、歌詞先行で作った曲でした。

20代後半、サラリーマンをしながら音楽活動を続けていたのですが、卒業した大学の軽音部の練習場でよくバンド練をしていました。おそらくそのバンド練の後でバンド仲間、もしくは軽音部仲間と朝まで部室で飲んで、その朝方に帰宅するため最寄駅へ向かう途中の商店街から見える冬の空と匂いとにどこか心を刺激されて、それで歌詞を書いたんだと思います。

この楽曲はその後一人で宅録し、あるコンペに出したんですが、そのコンペにノミネートされた5組のうちの一人になったお陰で、作曲家の渡邊崇さんと出会いました。渡邊さんも同じコンペにノミネートされたうちのお一人でした。この楽曲がなければ、渡邊さんとは今でも出会っていなかったかも知れませんし、今でももしかしたらサラリーマンとして働いていたかも知れません。

「想い出す頃」もそうですが、音楽にとことん人生を救われているなと思います。


M06.赤い糸

この曲はジャケットデザインをして下さった奥下和彦さんの『赤い糸』という映像作品に、自分で勝手に音楽を付けて作ったものです。(『赤い糸』には既に奥下さんご本人による音楽が付いていました)

最近、この曲をある人に聴かせたら、「James Ihaの『Be Strong Now』をパクったな?!」と言われたのでその曲を聴いてみたらイントロがまんまでした。。

制作当時はこの曲を聴いた覚えがなかったので、パクリじゃねえ!と必死に言い張ったんですが、もしかしたらどこかで耳にして、それが自然と出てしまったのかも分かりません。でも、James Ihaではないんですが、音楽的にはむしろくるりの「赤い電車」から影響を受けている気はします。パクリとまではいかないかも知れませんが、曲イメージは近づけたと言いますか、聴いたイメージは似ていますよね。正直、、そこは狙いました。


M07.n a m i d a

この楽曲はエレキギター1本によるインストです。

これを一人宅録したときの事はとても鮮明に覚えているのですが、なぜこの楽曲が出来たのかは、実はとてもデリケートな事情がありまして、ここでは明言を避けたいと思います。

1つ記すとすれば、この曲は堀さんの映画「変身」で劇伴として後に使って頂いたんですが、奇しくも「変身」のテーマと上記のデリケートな事情が決して無関係ではないのが、自分でも不思議に感じました。


M08.記念日

奥さんとの結婚記念日にあてて作った楽曲だったと思います。

こちらも何となく詳細は避けたいと思います。笑

ただ、今回改めて聴き直してみて、昔よりもこの楽曲が心に沁みているのは何故なんでしょう。


M09.あきれ笑い

これも「M04.オモイ ヒビ」と同じく"1日1曲楽曲を発表するキャンペーン"で作曲したもので、2回し目を後日追加したアレンジになっています。

寝違えた事をテーマにした歌なのでヘンテコリンな楽曲ではあるのですが、この曲は昔からアルバムの中でも一番好きかも知れません。

楽器構成も非常にシンプルですし、分かりやすいといいますか。特にギターの音が調子良いというか、いい感じに録音出来ているなと思います。


M10.ゆりかご

2012年5月に東京スカイツリーと同時にグランドオープンしたすみだ水族館のエントランス映像のBGMとして制作したインスト楽曲です。そして、初めて頂いた音楽の仕事でした。

その後、すみだ水族館にも二度ほど足を運びましたが、音楽の仕事が出来た喜びと、コラボさせて頂いたエントランス映像の美しさとで、あの時は胸が一杯になりました。


M11.こずえ

この楽曲は、サルバドール・ダリの描いた『窓辺の少女』に刺激を受けて制作しました。

タイトルなんですが、これ実は自身の妹の名前でして。

なんですけど、妹の曲だとかいうのではなく、この『窓辺の少女』のモデルがダリの妹だったというのから、妹の名前を勝手にタイトルに拝借しました。


M12.葵の歌

上にも出てきました、自身の妹の一人娘、つまり自身にとっての姪っ子の名前が葵(あおい)と言いまして、彼女が生まれた時、そのお祝いの気持ちを込めて作りました。

ちなみにこの歌をあるライブで歌ったら、自分の娘も葵という名前なんですと言ってCDを買って下さったお母さんがいました。

この楽曲が彼女たちのお守りのような存在でいてくれたらなと願います。


M13.御茶ノ水

御茶ノ水は、自身にとって"聖地"のような場所でして。

というのも、楽器屋が多くて、そこでギターを何本か購入したから、というのではなく、高校生の時に通っていた予備校の淡い思い出が詰まった街であるからです。彼女の幻影を今でも追いかける時があります。彼女って誰なんだって話ですが。。

ちなみにこれも、"1日1曲楽曲を発表するキャンペーン"の中で生まれた楽曲です。作詞作曲から演奏、録音、完パケまで1日でこなしていたはずです。ヴィブラフォンが時折聴こえますが、大好きな楽器なのでよく使います。これまた、お気に入りです。



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