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《「一人だけ野球」な個人企画》 都道府県見聞録――時代変遷の記録 その3(最終回)

「一人だけ野球」な個人企画 都道府県見聞録――時代変遷の記録 その3(最終回)

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・【新宿駅西口バスターミナル及び高速バスターミナルほか】南口側の交通ビル・バスタに機能集約
・【「笑っていいとも!」】放送三十二年の歴史に幕
・【新宿コマ劇場】「演歌の殿堂」たる劇場もついになくなり、シネコン併設の高層ホテルに建て替え
・【新宿コマ劇前の噴水】同所にはかつて(まだそこに「殴られ屋」の元ボクサーの男性が出没していた頃まで?)噴水広場が設置されていたが、現在は撤去済。地目は公園ではなく公衆用道路で、道路法上の区道。近年はよくここを会場に各種イベント開催あり。国家戦略特別区域(道路占用基準の緩和)に認定
・【東京厚生年金会館】全国にその名を知られた東京を代表する「公共ホール」も、開業約半世紀の歴史に幕(ラスト公演はさだまさしや松山千春)を引き、民間企業に売却後取り壊し。現在オフィスビルが建つ
・【ロッテ新宿工場】同社の創業工場でありチューインガムを製造、同所にはかつて球団事務所が置かれていたこともある。やがて工場は稼働を停止し生産機能を郊外に移転、現在は多く更地
・【ロッテ会館】建て替えにより、ホテル併設の複合商業施設に
・【東急百貨店東横店の中央館及び東館】解体
・【東急文化会館の跡地】長らく地下鉄13号線工事の作業所だったが、再開発で複合商業ビル・ヒカリエが竣工
・【東急東横線「旧渋谷駅」】前項と同様の開発で、東京メトロ副都心線と直通する地下駅に

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・【代々木ゼミナール本部校】全国駅前の「代ゼミ」校舎が次々と閉鎖されるなか、代々木駅すぐの本部校は新宿駅寄りの土地に建つ新設校舎・代ゼミタワーに移転。最寄りは新宿駅新南口ほか。旧校舎跡地にはオーガニックカフェなどの商業施設がオープン。受験も受験業界も「日々是決戦」
・【東京原宿・五輪橋付近の線路際に建つ「JR労働組合」の建物】二階建てのプレハブだったが、四、五階建て規模の変電所のようなビルに建て替え。『ゼンリン住宅地図 渋谷区』によれば「東京建築工事局 原宿集会所」
・【「連合=日本労働組合総連合会」が本部を置く総評会館ビル】「連合会館」に改称
・【鷺宮(さぎのみや)製作所本社ビル】同社は自動制御機器の機械メーカー(非上場)。中野区内の鷺宮の住宅街から、新宿区内に竣工した高層オフィス内に本社移転。健全経営で硬式野球部も健在
・【シダックス野球部】廃部
・【日産自動車硬式野球部】休部
・【Jリーグヤマザキナビスコカップ】冠スポンサーの社名をリーグカップ戦の名称としていたが、当の菓子メーカーが米国社と結んでいた「ナビスコ」ブランドのライセンス契約終了に伴って「ヤマザキビスケット」に社名変更、引きつづき同社の特別協賛のまま大会名も変更される(現「JリーグYBCルヴァンカップ」)
・【広島市民球場】新スタジアムの開場後、「旧広島市民球場」に改称。やがてスタンドの一部を残して解体されたが、サッカースタジアムか公園か、跡地の活用がまだ決まらない……
・【川崎球場】老朽化のためスタンド撤去後、長らく軟式野球では使用されていた球場だったが、近年のさらなる改修工事でついに野球場としての命脈を絶たれる(その数々の「昭和の」名勝負や珍場面とともに)。……改修によりマウンドや各ベース付近に残る土部分が人工芝化されると、グラウンドの形状もダイヤモンド型から長方形となり、とうとう完全なアメフト専用スタジアムとなった。その際施設名も改称されて、現・川崎富士見球技場「富士通スタジアム川崎」
・【「ナゴヤ球場前駅」の駅名】一軍本拠地がナゴヤドームに移転後も駅名は「球場前」のままだったが、利用客の半減したこの名鉄の二軍球場最寄駅はいつしか無人駅となり、やがて名称も駅開業時の「山王駅」に戻った

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・【横浜ベイスターズ】オーナー変更により、再び球団名に企業名が入る。――eコマース時代の野球に、インターネットNA企業の知恵と工夫DE、ハマのベイス・ボールの遺伝子をアップ・ツー・デート。あるいは親会社の公式見解によれば、「eコマースの新しい遺伝子を世の中に広めていく『DNA』でありたい」
・【オリックス・バファローズの大阪神戸ダブルフランチャイズ制】「阪神は阪神のものだ」と言い張る阪神球団と対立した経緯もあり、本拠地球場は大阪ドームに。ただし神戸でも公式戦を主催
・【私鉄準大手の阪神電気鉄道】村上ファンドによる同鉄道の大量株取得に端を発した「関西私鉄再編劇」は、ホワイトナイトの登場で夢の合併(吸収合併)へと動き、阪急・阪神ホールディングスがここに誕生。また阪神百貨店も阪急百貨店側と経営統合で新会社設立
・【ボールカウントの「SBO」方式】国際的に採用される「BSO」方式に変更
・【ドラフトの「希望入団枠制度」】あの「逆指名制度」の名残りもついに廃止に
・【プロ野球のプレーオフ制度】パ・リーグで実施されたペナントレース最終盤の優勝決定トーナメント戦は、セ・パ両リーグの「クライマックスシリーズ(CS)」に看板を掛け替える。これにより、公式戦の一位は一位としてリーグ優勝と見なすが、日本シリーズに進出できる保証はない、という性格のトーナメントになる
・【日本プロフェッショナル野球組織のセ・リーグ事務局とパ・リーグ事務局】両リーグの連盟事務局がコミッショナー事務局に統合・一本化され、「組織」は「機構」の内部組織とされる
・【野村克也氏の最多出場試合記録】横浜と中日で正捕手だった谷繁元信氏が同プロ野球記録を更新。野村氏「タニシゲも気が利かないよね……」
・【地上波全国放送による「巨人戦」の中継番組】いまや滅多に放送されず……
・【タンパベイ・デビルレイズのチーム名】MLBのエクスパンジョン(球団拡張)の一環として一九九八年に設立された新興球団だったが、チーム愛称から「Devil」を外し「タンパベイ・レイズ」に

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・【ダイエーグループ】イオングループ傘下に
・【旧ダイエーロゴマーク】「沈みかけた夕日」もついに没す。全国店舗の塔屋や看板からは完全に消滅、それ以外では一部の什器や輸送用台車などに痕跡をとどめる程度とのこと。新マークはやや明るめのオレンジ色でハートの形をあしらったもの
・【産業再生機構】大手銀行の不良債権問題解決のため、政府と民間の共同出資により二〇〇三年に設立。産業と金融の一体的な再生を目指す預金保険機構の子会社だったが、約四年で役割を終える。主な事例はカネボウやダイエー
・【埼玉県秩父郡荒川村】秩父市など四市町村で合併し新生・秩父市になる
・【富山県婦負(ねい)郡八尾町】富山市など周辺六市町村と合併して新生・富山市になる。婦負郡も同日消滅

――また当時、新潟県内の地名も大きく「再編」される過程にあった。佐渡市の「一島一市」合併がちょうど〇四年三月のことである(島内一市七町二村で実施、これにより「佐渡郡」は消滅)。本作中に取り上げた地名のうち、その後一連の平成の大合併により(〇四年十一月一日以降に)消滅した、新潟県内の旧市町村及び郡について。

・「北魚沼郡小出町」と「北魚沼郡守門村」が他四町村と対等合併(→現魚沼市)
・「南魚沼郡六日町」が他一町と合併(→現南魚沼市)
・「中頸城郡大潟町」と「中頸城郡頸城村」が他十一町村とともに上越市に編入
・「西頸城郡青海町」が他二市町と合併(現糸魚川市。「西頸城郡」も同日消滅
・「白根市」と「豊栄市」と「新津市」が新潟市に編入(政令市移行後には、それぞれ新潟市南区、同北区、同秋葉区の一部となる。また「中蒲原郡横越町」「西蒲原郡味方村」「同郡月潟村」「同郡潟東村」「同郡岩室村」他も合併し、周辺十三市町村が加わり人口約八十一万人の新潟市に)
・「刈羽郡小国町」と「古志郡山古志村」が他三町とともに長岡市に編入(「古志郡」も同日消滅。山古志村種苧原(たなすはら)は、長岡市山古志地域の種苧原地区に)
・「松代町」、「松之山町」の十日町市他との合併により「東頸城郡」が消滅
・「妙高高原町」、「妙高村」が新井市に。新井市が妙高市に改称、同日「中頸城郡」が消滅
・「北蒲原郡紫雲寺町」が他一村と新発田市に編入
・「栃尾市」と「三島郡寺泊町」が他二町村とともに長岡市に編入
・村松町の五泉市との合併により「中蒲原郡」が消滅
・「西蒲原郡分水町」が他一町とともに燕市と合併
・「岩船郡山北町」が他三町村とともに村上市と対等合併(→現村上市)
・「川口町」が長岡市に編入され「北魚沼郡」が消滅
(……なお、北蒲原郡聖篭町並びに刈羽郡刈羽村の二町村については、南魚沼郡湯沢町と同様、新潟県内の自治体中でもとりわけ財政力指数が高く、よほどのことがないかぎりそれぞれ独立は保たれそうである。やはり「産業」をもつところは強い。ほかに「合併絶対反対の加茂市」は、少なくとも市長が現職のうちはどことも合併しない方針なのだろう。そしてその村、弥彦神社と弥彦温泉のある西蒲原郡弥彦村も相変わらずそこに健在であり、やはり健在のJR弥彦線が終点の弥彦駅まで線路を延ばす。何も心配せずとも、さすがは越後国一宮が鎮座まします土地だったのである)

ーー了ーー

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激越せよ、激越せよと呼ぶ声あり。

砂利道と鉄のレールと列車の屋根。

それはいつ果てるともない、終わりなき旅の記録なのだ。

激越!! プロ野球県聞録

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