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「わかりやすさ」の、さらに向こう側

2020年2月19日。
東京都写真美術館で開催中の「恵比寿映像祭」にて
アイドントノウがトークイベントを行いました。

デザイナーという職業でありながら、普段はアートにも映像にも馴染みのないアイドントノウが、今回の「映像際」というイベントを見て、何を思ったのか。

そして、何をしたら、もっと楽しいイベントになるのかアイデア出しを行いました。

今日はその内容はいったん置いておいて。

トークイベント内で出たある言葉が、僕にとってすごく重要なキーワードだと感じたので、速報という感じで書きたいと思います。


「わかりやすさ」が正義の時代

どこかで聞いたのか、はたまた自分が思ったのかは覚えてませんが。

これまでの10年くらいの間
SNSの重要度が増し、情報の処理スピードがどんどん早くなっていった結果

「難しいニュースを短く伝える」だったり「使いやすさ」だったり「生活シーンを提案する」だったり「ベネフィットを端的に伝える」だったり。

様々な場所でいかに短い時間で理解してもらうかが重要視されてたように思うんです。

そうして全てを「わかりやすく」していった結果、なんだか言葉にできないドン詰まり感を、ここ最近の僕は感じてました。

でも、今日その突破口が見つかりました。


ときめくか、ときめかないか

ここでまずは、2010年に恵比寿映像祭でも展示されていた
クワクボリョウタさんの『10番目の感傷』を見てください。

この作品の凄さはYouTubeなんかでは伝わらなくて、実際の空間でぜひ体験していただきたいんですけど

ざっくり説明すると、模型のSLに小さな光源があり、その光によって、周囲の物体の影が、ゆっくり形を変えながら壁面に大きく投影されるという作品です。

これ、説明するのも野暮というか。

実際に体感すると、もう理屈を越えて「、、、、良い、、、!」と全身が震えてしまうわけです。

もちろん、これに対して後から「これこれこういう部分が感動した原因なんじゃないか」と分析することは可能なんです。

でも、まず先に立つのは、言語化できない感動。
ときめきなんですよ。

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今年の恵比寿映像祭では、このクワクボさんの作品ほどのものには出会えていなくて(個人の感想です)

コンテンポラリーなアートの数々を見て「わからないなあ、どういう意味があるんだろう」って考え込んでしまってたんですけど

自分にとって本当にときめくものと出会った時って、まずは理屈を飛び越えて「良さ」が襲いかかってくるわけです。

つまり「わかるか、わからないか」は重要ではない。
「ときめいてしまった」という事実が先にあって。
理由は後から考えてるんですよね。

この強度、すごいですね。

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わかるか、わからないか。
をひたすら追ってきた2010年代。



これから先の十年は、それだけではなく



ときめくか、ときめかないか。
そしてそれはどうすれば実装できるのか


を追って行きたいなあと思えた夜でした。

そういえばフライパンジュウは、海外サイトでは「Sparks Joy!(ときめく)」って言われてました。



その領域は、もしかすると、そう遠くないのかも?

おしまい。
また今度深く掘ってみまーす。







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