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あかるい花束/岡本真帆 読書記録#41

 短歌のことはよく知らない。でも、印象的な歌がたくさんあった。ので、拙いながらも短歌評みたいなことにチャレンジしてみる。ここで残した言葉が、後から見返す自分にとっての手がかりになるかもしれない。

好きなのに失くしてしまうピアスたち 捨てられないでいるこの指輪

p15

 「失くす」と「捨てる」の違いは何だろう、と考えてみて、「それは意志が介在するかどうかだ」と思い当たる。捨てたくない・捨てたい。これは成立する。しかし、失くしたくない・失くしたい。これは成立しない。
 「失くしてしまう」と対置された「捨てられない」。ここにはもう一つの対応関係が隠れている。「好きなのに・(好きじゃないのに)」。なのに指輪を捨てられない理由を考えると、そこには文字に書かれた以上のドラマがあるんじゃないか、ということを思った。

泣きやんだあとの心を馴染ませるアコーディオンのような呼吸で

p55

 ぜいぜいと息を切らしながら、しゃくりあげるような呼吸をする。さんざん泣いた後で乱れた息を、そうして平常へと戻していく。その呼吸を「アコーディオン」だという。あの蛇腹の胴体が伸び縮みする様子とか、それとともに鳴る音色の質感とかが、ぴったりな例えだと感じる。
 たしかに覚えのある感覚・知っている瞬間を、新鮮な言葉で言い当ててくれたような、そんな気持ちの良さがあった。

あなたと過ごした日々は小さな旅だった 空っぽの花器の美しいこと

p67

 旅と花器。非日常と日常。きっとこの人は帰ってきたのだ、あなたとの旅から。「だった」「空っぽ」の言葉が、もう終わってしまった何かを予感させ、一抹の寂しさを覚えさせる。
 それでも、「空っぽの花器の美しいこと」が胸に迫ってくる。それはきっと、あなたと過ごした日々もまた、かけがえのなく美しいものだったということだ。この人はそれを想いつつ、花器に花を生けることだろう。

 私が筆者から受け取ったこの「あかるい花束」。今のところは、その中からいくつかを抜き取って語ることしかできない。いつか他の花をより愛しく思うことがあるだろうか。あるいはこの花束が贈られた意味についても、知る時が訪れるかもしれない。

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