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本は読めないものだから心配するな/管啓次郎 読書記録#37

 そしていつか満月の夜、不眠と焦燥に苦しむきみが本を読めないこと読んでも何も残らないことを嘆くはめになったら、このことばを思い出してくれ。
 本は読めないものだから心配するな。

p14

 本が読めない。苦しい。安心を得たくて、この本を手に取った。

 しかしなぜ、「本は読めないもの」なのだろうか? 筆者は言う。本は冊数では測ることが出来ない。それよりも大きなテクストの流れを我々は読むのであり、それは動的な情報として押し寄せる。

 一生かかっても読めない本がある。書店や図書館には膨大な本が並んでいるし、一度読んだとしてもその内容を忘れてしまうことだってあるから。質的にも量的にも、本を読むということは困難で、その道のりは果てしない。

 それでも人は本を読む。何故か? 読書を通じて、人は変化していく自分と出会うことが出来る。記憶違いや忘却すらも受け入れながら、それは稀有な体験となって我々の糧となる。
  そうした大いなる活動としての読書を指し示して、筆者は「本は読めないものだから心配するな」と書いたのではないか。そう私は推測する。

 ところで、本書の各ページ上部には、本文の一部から抜き出した断片的なことばが記されている。ここを拾い読みするだけでも興味を惹かれて面白い。お気にいりのことばを5つほど引用して、この感想文を終えようと思う。

p51「迷う必要はない、きみは詩を読めばいい」
p165「本を買うことは、たとえばタンポポの綿毛を吹いて風に飛ばすことにも似ている」
p169「映画は忘れる。どうしても。でも本も忘れる」
p171「忘れたことは仕方がないので、記憶していることをきみに語ろう」
p263「すべての文章は、読まれたくてたまらない」

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