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事実は小説よりも奇なりとバイロンは言ったがイマイチ理解できないのでよく考えてみたらそうかもしれないと思った。

英国の詩人バイロンはこう言った。

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事実は小説よりも奇なり、と。

現実で起こる出来事は小説のようなフィクションよりも奇妙で、また、面白いということである。

小説や映画の主人公に憧れる。
私もあんな刺激的な人生だったらなあ、と。

映画を観た後の”現実に引き戻された感”に虚しくなった経験は誰しもあるだろう。私もある。あの世界に住めたらなと思う。

そんな中で「事実は小説よりも奇なり」と言われてもピンとこない。

でも思い出してほしい。いや、これは自分に言っている。
人間は物事をそんなに覚えていられない。長く生きるほど細かい記憶は曖昧になり、抹消される。容量には限界があるから、無限に、鮮明にキープすることはできない。

細かい記憶が曖昧になると、大雑把な出来事が残っていく。

中学生の時、彼女がいた。
中学生の時、彼女と6ヶ月付き合って、2ヶ月目でチューした。

年を重ねるほど前者のように情報が大雑把になる。その結果、「俺の人生なんもねえな」になる。

でもよく考えてみると、その瞬間瞬間に小さな、細かな感情の起伏や事件があるわけで、そういうのが、「小説よりも奇なり」なのだろう。

フィクションには限界がある。表現しきれない感情や微起伏、感性がある。
それら全て「事実」では感じ取れる。そこだ。そういうのを大事にしたい。

そして大事にするために、忘れたくないから、書いている。

いいことも悪いことも、タイトルになるようなイベント名以外にもそれに関わった感情や風景も記録したい。そうすればより一層鮮やかなものとして残るだろう。

休学中、バイト後の深夜、5万円の自転車で10kmの山道を越えて1回り年上の彼女に会いに行った。深夜の山道を、誰もいないことをいいことに大声で歌いながら走ったり、あるいは10月ごろになると空気が乾いていたな、とか、葉っぱの匂いがすごく印象に残っている、とか。彼女の家に行って彼女とご飯を食べてエッチして朝までギューしてたとか。エッチしてる時の彼女の顔や声が日常と違って燃えたなとか。そういうのだ。

忘れないうちに書いて記録していけばそれは小説よりも奇なる事実の小説として出来上がるだろう。

書くことで、色づく。書こう。描こう。

生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。