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空は紫色 第三章

         ―現実との対面―

事実を知る…と言うことは、時に思いもしない厳しい現実と向き合う必要がある
事実の大小に関係なく、年齢に関係なく、重くのし掛かって潰されそうになってしまう
いつからだろ…私は現実と向き合うのが怖くなって、想像の世界に入るようになっていった
自分だけの誰にも邪魔されない世界、その中では私はいつも幸せでいられた
誰にも傷つけられる事もなく、誰にも暴力を振るわれる事もなく、明るく幸せな光に満ちていて、みんなが私を大切にしてくれた

おばあちゃんに、家にあったお仏壇の前に連れていかれて「これがお前を産んだ母親だよ…」と位牌を見せられた
お仏壇は、その時初めて見たわけではない、何度も見ていたのに、私はその小さな位牌に今まで気づかなかった…
位牌に書いてあった名前は母子手帳とおなじ名前だった…

お盆前になると、私はおばあちゃんとお姉ちゃんと一緒にお墓の掃除に行った、当時のウチのお墓は周りにあった立派な墓石で作られたお墓ではなく、とても質素なお墓で逆に目立っていた
お墓は住んでいた家からすぐ近くにあって、暇さえあればおばあちゃんに連れていかれた

今考えると、おばあちゃんは私を実母に合わせてくれていたのかもしれないな…
それか、その逆で私を実母に見せに行っていたのかも?
そうとも考えられるなあ…
でも実の両親の写真は見たことがないの、一度も見せてもらえなかった…
これにも理由があったんだけどね

私が生まれたのは都内某区
私の実母の他界した年齢は23歳の時で病気だったらしい…(謎)
23歳なんて若すぎるよね…
近所の人達の話がようやく理解できた
その時私は1歳2ヶ月
実父の事は詳しくは教えてくれなかった「酷いヤツだった、○○はあの男に殺されたようなものだ」とだけ言った
私はそれ以上聞くことは出来なかった、聞きたかったけど聞いてはいけない気がしたから
あとで、実父の事もハッキリしたけど、この時はこのまま終わったの
両親…お父ちゃんと、お母ちゃんは実際は私の祖父と祖母で、幼かった私を実父は育てることが出来ず、施設に預け消息不明となり、その後保護されていた私を祖父母は養子としたのだと教えてくれた
だから母子手帳の名前が違っていたのね

私が兄妹だと思っていた人達は、実母の兄妹で、私にとっては叔父や叔母にあたる人達だった
そして、おばあちゃん…おばあちゃんは、祖父の姉だと言う
つまりは、お父ちゃんのお姉さんだ…
ちょっと分かりずらいかな…?
私でも把握するのは難しかったからなあ…

おばあちゃん達は元々、東京に住んでいたらしい、おばあちゃんは「若い頃に芸者さんをしていた」と教えてくれた
そう言われてみれば、いつも長い髪に椿油を塗りツゲの櫛でとかすと綺麗に髪を結い、煙管で煙草を吸っていた、何度か三味線も聞かせてくれた事があった…
私はその煙管で煙草を吸うおばあちゃんの姿が好きだったなあ
子供ながらにカッコ良くみえたから…
おばあちゃんは芸者さんになるときに、生涯を独身で過ごそうと決めたらしいです

おばあちゃんから、本当の話を聞いても驚きはしなかったな、それよりも教えてくれた事の方が嬉しかった
近所の人達から、コソコソ私に聞こえるように噂話されるのはもう嫌だったしね
教えてもらえて、どれだけ気持ちがラクになったか
その日の夜、おばあちゃんは家のみんなにも私に事実を話したことを伝えたの
誰も何も言わなかった、と言うよりは「だから?」という雰囲気…
私が事実を知ったところで何も変わらないから誰も気にしない…
ただひとり、お父ちゃんだけは「あの事は?」と不機嫌そうに、
おばあちゃんに聞いていた、おばあちゃんは「それは、まだ…」とだけ…
チラッと私を見ると、すぐに目をそらしたので、まだ何かあるんだ…と感じたけど聞かなかったし、もう聞けなかったの
事実を私に伝えたおばあちゃんは、きっと辛かったはずだから…
それに、とても悲しそうに見えたし…
ありがとう!おばあちゃん!

      ―残酷な小悪魔たち―


それより、私が養子だとみんなに知れ渡ったことが事がイジメの酷さを確実に助長していったっけ
無視されるのが一番ラクだったなあ、ヘンに絡まれたりする方がツラかったから…
聞こえるように言われる悪口も、物を投げつけられるのも、無視されるのも、一人でいるのも慣れてきていた
ただ、3人組から受ける卑劣で卑猥な行為は慣れなかったしツラかった…
いつの間にかYちゃんまでも私をイジメる側にまわっていたしね
そりゃそうよね…そうしなければYちゃんがイジメの対象になっていたかもしれないし…

私は3年生になっていた
学校には毎日通っていた、行きたくはなかったけど家にいても大変なだけだから
その日は課外授業で4年生と一緒に近くの土手に行き、風景画を描く写生会の日だったの、仲良しどうしが集まり自然にいくつかのグループが出来ていったけど、もちろん私はひとり
みんな、それぞれに場所を見つけて書き出した、真面目に書き始めるグループもいれば、絵を描くのをやめて遊びだすグループもあった
その中にはOちゃんもいた…
Oちゃんは3年生の女子数人をいつも自分の手下のように連れ回していた
写生会の時もそう…
私は絵を描くのが大好きだったから一人でゆっくり描けるのは嬉しかったの、誰にも邪魔されずに…の、ハズがない
Oちゃんたちが私の方に歩いてくるのが視界に入った
イヤな予感がしたなあ
「ちょっと来て!」Oちゃんに命令されたんだろうな、おなじ3年生の女子たちが私を土手の上の方に来るよう言ってきた
Oちゃんは後ろの方でニヤニヤしているだけ
もう少しで土手の上に着くと思ったとたんに空が見えた
私は前を歩いていた子たちに胸を押されて、後ろ向きに土手から転げ落ちたの
Oちゃんたちの笑い声が聞こえて、世の中がスローモーションに見えた次の瞬間、私は川の中に転がり落ちた
先生が2人来て私を引っ張り上げると、土手の上で大笑いするOちゃんたちが私を見下ろしていた
他の子たちも、転げ落ちてビショ濡れになった私をOちゃんたちにつられるように笑い始めた
よく見ると手や足から血が吹き出していて、おでこから左側の頬にかけても血が出ているのに気づいた、左足も痛くてまともに立つことも歩くことも出来なかった
痛みで涙が出た…
「真面目に絵を描かないで遊んでいるからだ!」と先生に怒られても私は何も言い返さなかった

昭和の先生の言うことは絶対逆らえないから
本当に昭和の時代って理不尽だわね…

何の治療もしてもらえず、先生から渡されたタオルで血と川の水で濡れた身体を拭いていると「早く絵を描き上げるように!」先生にと言われて、元いた場所に戻った

写生会の時間が終わって足を引きずり、みんなから遅れて学校に戻ると保健室へ行くよう言われ、やっと治療してもらえた
「お家の人に連絡して迎えに来てもらおうか?」と保健室の先生は私に優しく聞いてきたけれど、そんなことが出来るハズがないし、連絡したとしても誰も迎えに来てくれないのは分かっていたから
私は何も言わずに首を振ったの…
「今日は帰る時間まで、ここで休んでいきなさい」そうして、真っ白なベッドに寝かせてくれた…
布団を頭からかぶって大泣きした
いつの間にか私は眠っていたらしく、起こされたときには下校の時間になっていた
テーブルの上には私の分の給食が置かれていた
保健室の先生は私を起こそうとしたらしいが、私は目を覚まさなかったらしい、こんなにゆっくり眠れたのはどれぐらいぶりだったろう
当時、イジメに合う子たちは保健室へと逃げ込んだ、その理由が理解できた…
保健室の先生は優しいし、保健室は安全に感じるからだ
でも私は逃げ込む事はしなかった、保健室へ逃げ込んでしまうと家に連絡がいってしまうから…
私は学校でイジメられていることを内緒にしていたの
それに、家の人達には知られたくなかったから
家に帰っておばあちゃんにケガの事を聞かれても、体育の授業中にできたものだと嘘をついた…
でも、おばあちゃんはきっと知っていたんだと思う
そして、その原因はOちゃんだということも…(理由はのちほど)
ケガをしていいこともあったの!
夕飯の片付けが終わると、おばあちゃんが、私をお風呂にいれてくれた!初めてだった
いつも長男と一緒だったから、おばあちゃんとお風呂に入れるのは嬉しかったなあ
(ケガをしても家事は休めない)

お風呂から出て傷を消毒して薬を塗ってくれていた時だった…
「もう少し我慢してな…ごめんな…もう少しだからな…」おばあちゃんは私にそう言ったの
もしかしたら、おばあちゃんは全部知っているのかも?と私は考えていた…

      ―突然の再会と別れ―

3年生の夏休みが来た…
私にとっては憂鬱な時間だ…
例年どおりにイトコ家族がやって来る…
そして、イトコ姉妹の父親も…
2年生の夏休みにはイトコの父親は仕事の都合で来なかったから、その年もそう願っていた、でもこの夏休みには来てしまったのね…
分厚い赤茶色の口唇が、ニヤニヤ笑いながら「元気だった?大きくなったねぇ!」と、私は目を合わせなかった…
イトコ姉妹は相変わらず、これ見よがしに着飾っていた
「これ!パパが買ってくれたのー!」と…自分の父親が何をしにここに来ているのかを教えてやりたかった!
長男は待ってました!と、ばかりにイトコの父親を喜んで出迎える
そうよねぇ、お金になるんだからね…
この頃私は、物事全てを覚めた目で見るようになっていて、自分の感情も状況におおじて変えることも出来るようになっていったの
嘘をつくことも、何とも思わなくなっていた
だからイトコ姉妹とも仲良く過ごす事もできたの
そんなことは小さい頃から学んでいたけれど、この頃には更に上手くなっていたから、次男たちから受ける暴力も多少だけれど逃げれるようにもなってきていた
嘘も自分を守るためには必要だっの…
でも、イトコの父親は別…
逃げる事は出来なかった、イトコ姉妹が父親と一緒にお風呂に入らなければ、私も入らなくてすんだのに…
4人で入るときは、私は自分の感情を殺して明後日の方向を見て、頭の中で歌を歌っていた、イトコの父親が満足するまで、何度も何度も…
涙も出なかったし、表情を変える事もしなかった…無、私には無になることが逃げる術だった…
いつまで続くの?いつになったらこんな状況から解放されるの?それだけ教えてほしかったな

お盆になると決まってイトコ家族が帰省してくるけど、それと同時にその年は三女の家族も帰省してきた、この家族にも私のイトコにあたる女の子がいた
まだ5歳になったばかりだという
どうして今まで帰省してこなかったのか?
この子は、未熟児で生まれたせいか身体がとても弱くて、生まれてからも入退院を繰り返していたらしい、でもこの頃にはだいぶ身体も落ち着いてきたので一緒に帰省することにしたと言っていた
この子に会うのは、この夏休みと次の年の夏休みの2回だけだった…(理由はまたのちほど)
とにかく大人しくて白くて、小さくて細くて、触れただけで崩れてしまいそうな印象だった
人見知りで母親から離れようとしなかった
この子は可愛かったなあ~
父親もいい人だった、私の記憶には残っていなかったけど、幼い頃の私を知っていると言っていた
優しい人に見えたし、実際私に優しく接してくれていたの
イトコ姉妹の父親とは大違いだ…

お盆の時期には、隣の集落で毎年お祭りがおこなわれていたの
イトコ姉妹は綺麗な浴衣を着て、可愛いお揃いの下駄をはいていた
小さなイトコは、ピンク色の甚平を着ていた
可愛らしかったなあ
私は兄たち(叔父)からのお下がりのTシャツにショートパンツだったけど、そんな事はどうでもよかったの、お祭りに行けるのが嬉しかったから

イトコ姉妹が浴衣に着替える間、私は自分に与えられたスペースで待っていた、すると…家の裏口、キッチンに繋がっているドアの方から聞きなれた怒鳴り声が聞こえてきた、次男の声だ…それと女性の声が聞こえた、女性の声は次男と怒鳴り合いながらこちらに近づいて来る…
私は怖くなってトイレに隠れようとしていた、その時「○○!?アタシダヨ!アタシ!」振り返って見ると、そこにはお姉ちゃんらしき女性が紙袋を片手に持ち、笑顔で立っていた「○○ちゃん?」お姉ちゃんの名前を呼んでみた「ソウダヨ!」私は驚いた、何年も前に突然の消えてしまったお姉ちゃんが、別人のようになって立っていたから
骨と皮だけの両手で私の顔を撫でてくれたっけ
正確に言うなら、病院で声を聞いたのが最後だったのだろうけど、あまりハッキリとは覚えていなかったからね
ビックリするほどに痩せ細った身体、濃すぎるメイクに派手な服…
声もかすれていて早口、名前を呼ばれなければお姉ちゃんだとは思わなかっただろう
私はあれほど会いたかったお姉ちゃんが、こんなに変わってしまった事にショックを受けていて、素っ気ない態度をとってしまった
後々、おばあちゃんが教えてくれたのは、お姉ちゃんはやはり精神科の専門病院に長期間入院していて、この日初めて一日退院許可が降り帰宅したのだと言っていた
あの時、真っ白い建物の部屋の中から聞こえた声は、やはりお姉ちゃんの声だったんだ!
あれから何年も病院に入れられていたなんて…今ならそう思えるけど、当時は久しぶりに会ったお姉ちゃんが怖く見えた
きっと壊れてしまったままだったのかもしれないし、薬のせいかもしれない…それなのに、私はお姉ちゃんに優しくしてあげれなかった

お姉ちゃんは私に紙袋を渡すと、外に出で行き帰って来なかった…
はじめから泊まるつもりはなかったらしいけど、「キ○ガイは出て行け!」と次男に追い出されたから…
「おまえのせいだろ!」また口には出さずに叫んだ…
お姉ちゃんに会ったのは、この時が最後だった…
私は渡された紙袋を見てみた、中に入っていたのは生理用品と生理用下着が数枚、それにブラジャーなどこれから先、身体が変化してくる私に必要となるであろう品が沢山入っていた、あんなに傷ついてボロボロになり、あんなに苦しんで殺されそうになり、毎日毎日理由もなく部屋に閉じ込められイジメられ、訳もなく暴力を振るわれ、怒鳴られ続けて壊れてしまったのに、お姉ちゃんは私の事を覚えていてくれた…
生理用品を揃えてくれたと言うことは、私の年齢も把握してくれていたんだと、後になって分かって申し訳ない気持ちになった…
どうしてもっと喜んであげれなかったのか、どうして抱き締め返してあげれなかったのか、どうして怖がってしまったのか…
きっと悲しかったと思う、その時のお姉ちゃんの悲しみは私が想像する以上の悲しみだったと思う…
本当は次男のいる家になんて戻りたくなかっかたはずなのに、また何をされるか分からないのだから…
それなのに、私のために会いに来てくれた…それなのに…
今でも考えると胸が痛くなって涙が止まらなくなる、お姉ちゃんに会えた時間はものの数分だったと思う、たった数分さえも喜んであげれなかった…
私はこれからもお姉ちゃんに謝り続ける…

       ―みんなサヨナラ―

夏休みが終わり学校が始まって、しばらくすると私は学校を休みがちになっていた…
写生会でケガをしてその後、左足の治りが悪く病院へつれていってもらった結果、松葉杖を借りなければならないほどに、私の足の状態は酷かった…
好きだった器械体操の練習もできなくなり、片道30分以上かかる毎日の登下校もツラかったな
そして何よりもツラかったのは、3人組から受ける暴力だった、初めて松葉杖をついて登校した日、私は2階にある教室へ向かうために階段をゆっくり登っていたときの事、上の階から3人組がかけ降りてきたその時、2番目の暴力担当が私の松葉杖を蹴りあげ、私はつられて今度は階段から転げ落ちた、幸い数段上がった所からだったから良かったものの、また足を痛めてしまった…
3人組は松葉杖をサッカーボールを蹴るように廊下の一番奥まで蹴って行くと、窓から外へ投げ捨てた
廊下の奥から高笑いが聞こえて、私に仮病!仮病!仮病!と言ってきた…
今度は私が無視した
壁づたいに歩き、松葉杖を取りに行こうとしたとき、他のクラスの子が取りに行こうとしてくれていたのが見えたが同時にOちゃんの姿も見えた
まったく!タイミングが良すぎるよね…
私は、終わったなと考えていた…
Oちゃんは松葉杖と私を交互に見ると、松葉杖を手に取った…そして、どこかへ持って行ってしまった、どこに行ったのか…
やっと外に出られた私に、下級生の女の子がやってきて「歩くヤツ?プールだよ!プール!」と教えてくれた
Oちゃんは松葉杖をプールに投げ込んだらしい、らしいというのは、投げ入れるところまで私には見えていなかったから
私はその子に先生を呼んできてほしいと頼んだ、先生はすぐにきてくれて松葉杖を取ってくれたの
何があったのか聞かれたけど、言ったところで何も変わらないし、告げ口女と呼ばれるだけだから…
私は女の子にお礼を言おうとして名札を見た、、途端に寒気がした…
その女の子は3人組のリーダーの妹だったから、前に本人から言われたことがある「下の級に俺の妹がいるけど仲良くすんなよ!ぶっ○ろすからな!」と…
同時に妹はこんなにいい子なのに、兄はどうしてあんなにヒドイのか不思議だった、女の子は「お兄ちゃんとおなじクラス?分かるからつれていってあげる!」と気づかってくれたけど、私は断るしかなかった…
こんな事がバレたらっ!と怖くなったから、けど…兄妹だもんね、家に帰ってから話すのは普通、次の日にはもうクラス中に広まっていた、私が彼の妹に仕返ししたと…
どうしてそんな話しになるのか分からなかった…が、もうどうでもよかった…
その次の日から私は足のケガを理由に学校を休みがちになっていった…
私はもう疲れていた、家の事と学校の事…
もうイヤだ…と、心の中で叫んでいたし、身体は悲鳴をあげていたから…

第3章はここまでです
記憶をたどりなから書いていますが、私には所々記憶がありません
思い出そうとしても、どうしても思い出せない事もたくさんあって…
例えば、授業参観や運動会など…
担任の先生の名前も思い出せないし、顔も思い出せないのです
それに、お母ちゃん…いまだに思い出せません
養母とはいえ、母だった人なのに…
記憶ににある先生は一人だけなんですねぇ
あとで、お話の中にも出てきますのでお楽しみに!
では第4章も引き続き宜しくお願い致します!m(_ _)m
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!🙏🙏🙏💜






































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