やりたいことリスト 2020年10月20日の日記


やりたいことを100個書き出そうという自己啓発を聞いたことがある。「良さそうだし面白そうじゃん」と思いながらも、「100個」という面倒くささに負けて全くやらないまま今に至る。今日はそれをあたかも「やった上でその効用を諭す」という体で嘘八百を書き散らそうと思う。割と手間のかかる自己分析を、やってもいないのに偉そうに語るという構造です。以下、全部嘘。


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皆様は「やりたいことリスト」はご存じでしょうか。「やりたいことリスト」という名前でなければ「人生ToDoリスト」とか「死ぬまでリスト」なんて名前かもしれません。要は「死ぬまでにこういったことをしてみたい」という希望を書き出したリストのことです。これを、100個書き出しましょう。どんな小さなことでも構いません。100という数が重要なのです。


100という数字の理由の前に、このリストをお勧めする人間像について書いておきましょう。「当てはまんないのに途中まで読んじゃったよ」という人を減らそうという配慮ですね。人生は有限です。自らにとって有益な情報だけを仕入れられるように情報の密度を上げる努力を普段からしていきましょう。その密度のコントロールこそが人格形成において能動的に働きかけられる唯一の要素です。さて、ここまでの文章を読んで「なんだか胡散臭いな」と疑うことができた方にこそ、私は「やりたいことリスト」をお勧めしたい。「やりたいことリスト」というのは、人の言っていることに裏を感じることができ、その疑いの刃の向かう先が徐々に自分自身になりつつある人間にこそ実践していただきたいものなのだ。


さて、ここで話を戻して「100個」という数字について触れていこう。皆様もこの瞬間に「やりたいことを1つ挙げてくれ」と言われたら、少し時間はかかるかもしれないけれど、そう悩むことなく思い浮かぶものがあるだろう。「今年の冬服を選びたい」「片思い中の相手と仲良くなりたい」「○○のライブに行きたい」「認められたい」すぐに実行できるもの、できないもの、具体的なもの、抽象的なもの、いろいろあると思うけれど、1つくらいならば誰でもすぐに浮かぶ。難しくなってくるのはその数が多くなってからだ。


さて、皆様には先ほど想像していただいた1つの「やりたいこと」についてもう少し考えてみてもらいたい。その「やりたいこと」は、どこから湧いてきた希望ですか?「冬服を選びたい」というのは、もっと細かく言えば「いい感じの冬服に身を包んでいる自分が欲しい」かもしれないし、もっと言えば「冬に似合う人間になりたい」かもしれない。細分化していくと、必ず自分の深いところにある欲望と出くわすことになる。そう、すぐに浮かぶ「やりたいこと」というのは、同時に自らの深いところで「やらなければならないこと」と根を同じくしているものなのだ。その深いところにメスを入れることができていないから、自らに裏を感じてしまう。「やりたいことリスト」が扱うのはそこよりももっと疑いようもないくらいに根っこにある、分化されていない自分だ。


「やりたいこと」を100個も上げていくと、だんだんと細かい欲望が出てくる。私が実際に作ったリストの中だと「ゴルフでホールインワンをやってみたい」だとか「行きつけのバーで「いつもの」と言ってみたい」だとかそういったものだ。これらは、真っ先に思いついたものとは違い、細分化されつくされた、自らの根っこと直結した疑いようのない部分である。デカルトの言うところの「我思う、ゆえに我あり」に近いところにある欲望なんですよね。自分がどんな人間であるか、そんな自分を満たしてやるためには、ワンランク上の達観を手に入れるためにはなにをすればよいのかを同時に手に入れられるのがこの「やりたいことリスト」なんです。自らを疑うことのできる頭の良い人は、「やりたいことリスト」で自らの根幹に近いところにある欲望を暴き出して、自らを疑った先にあるものを見つけてあげてください。あとは、リストを羅針盤に人生を実践するのみです。


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胡散臭ぇ~~~。適当なことを書きまくるの、無駄に筆の進みが速いですね……。なんだか普段はそれなりに書いている内容に対して誠実に向き合っているんだなぁと実感しました。恐ろしい勢いで誤謬を重ねまくったのでかなり理屈が崩壊していますが、なんとか文体だけでそれっぽさ(胡散臭さ)が演出できたのではないでしょうか。「やりたいことリスト」自体は面白い試みだと思いますので、上のような適当極まりない理屈は抜きにまたやってみたいものです。

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