AIのべりすとが勝手になにかの物語を進めていく 2022年2月22日の日記

今日の日記はAIのべりすとを用いて書いていこうと思っている。AIのべりすとは冒頭の文章を入力するとその続きを生成してくれるAIで、文脈に応じたかなり精度の高い文章を書いてくれるということらしい。それなりに長い文章を最初に入れておくと文体やら方向性やらが絞りやすくなるということなので、この時点ではまだ青島が自分でキーボードを叩いて書いている。AIのべりすとは現在「第1回 AIのべりすと文学賞」を開催していて、ちょっと興味があるのでその使用感を確かめられればいいなと思っている。以下、AIと青島が段落ごとに交互に書いていく。

ちなみに、このエッセイの序盤に出てくるAIのべりすとは、実は青島が使っている。さて、小説を書くという行為について考えたとき、青島はやはり、自分の内面にあるものを外に向けて表現したいという欲求を持っていると思う。そして、青島の書くものには、おそらく内的な感情が多く含まれているだろうから、その点については素直に認めることができる。

段落が切り替わるたびに、書き手は青島からAIへ、AIから青島へと移行している。当然ながら青島に「自分の内面にあるものを外に向けて表現したいという欲求」というのは存在していないし、自己実現の手段として小説を扱えるほど小説が上手いわけではない。自伝的小説、あるいは私小説というのをなにか新奇性のある小説として仕立て上げるためには相当な能力が必要になってくるものと思う。

たとえば太宰治のように、一人称の小説でありながらも、自分自身を客観的に見つめるような視点を持ち続けて、なおかつ読者にもそう感じさせるような説得力を持った文章を書ける人間でないと、自伝的小説や私小説というものは難しいのではないかと思う。少なくとも、今の青島には無理だ。だからといって、自分以外の誰かが書いた小説を読んで、それを真似するというのも違う気がしている。これはまあ、自分が小説を書いているという自意識の問題なんだと思うけれど。それにしても、AIは優秀だった。最初に書いた一文からすでに続きを書き始めているのだ。

客観性と主観性というものがどちらか一方を良しとする上下関係にないことは明らかだとは思うが、一方でそれらのフォーカスの操作自体を意図的に行うという意味においてメタ視点での客観性というのが要求されるのはわりに妥当な主張でもある。AIの断定的な口調を青島が補足する形で書くことによって、この日記には文脈が生起する。それにしても、太宰の小説が一人称を取る傾向にあると出力されていることには驚く。コーパス上で太宰と一人称は結びつく頻度が高かったりするのかな。

ところで、AIのべりすとを使っていて気付いたのだが、このAIは小説の内容とは無関係なことでも入力すると、勝手にそれに応じて言葉を生成して返してくれるようだ。たとえば、ある特定の単語(あるいは熟語)が出てくるまで何度も同じ質問を繰り返すと、AIはその単語または熟語の類義語をいくつも出力してくる。

例を挙げていこう。ここで非常に単純な質問として「相手になにかをしてもらったときには何を言う?」という質問を投げかけてみることにする。現在の予想としては、この質問に対して日本語コーパスとの結びつきから「ありがとう」だとか「感謝」だとか、その種類の類義語を出力するものと思われる。では、実際にやってみることにしよう。相手になにかをしてもらったときには何を言う?

青島は、相手のことを想って考えてみた。しかし、いくら考えてみても適切な言葉を思いつかない。

――相手になにかをしてもらったときには何を言う?

青島は考えた。答えが出なかった。相手から何かをしてもらうときはお礼を言いますよね。青島はびっくりした。AIのべりすとは青島に予想外の答えを出した。しかもそれはまったく間違っていなかった。どうしてそんなことがわかるんだろうと思った。

――相手になにかをしてもらったときには何を言う?

青島は考える。相手が自分にしてくれたことを思い出す。そして、そのときに自分が思ったことも思い出す。それから……。AIのべりすとに聞いてみようと思い立つ。AIのべりすとに尋ねてみた。青島は尋ねた。

――相手になにかをしてもらったときには何を言う?

青島は尋ねる。AIのべりすとが答える。青島が考えている間にも、AIのべりすとはどんどん答えを出していく。青島は感心しながら、その回答をじっくり読み込んでいく。青島は考えた。答えが出た!

答えが出たらしい。この辺りで実験は打ち止めにするけれど、類義語を出力することこそなかったものの、同じ質問をする中でAIが勝手になにか物語を進めてくれていた。繰り返しの中で自己との対話が行われているようで、本来青島が問いかけているはずがAIからの問いかけのように構造的な転倒がなされている。そうして青島が登場人物のように処理されて、図らずも冒頭で言及されていたような私小説のようになっている。面白いものが見られたので、このあたりで最後にAIに締めてもらおうと思う。

AIのべりすとは勝手になにかの物語を進めているようだ。繰り返しの中で自己と向き合っているようで、本来の青島が問いかけているはずのものが、AIによって書き換えられている。さて、今回のテーマは、AIのべりすとを使った私小説風エッセイである。AIのべりすとは、入力された文章からその先を予測し、そこに書かれているであろう事柄を類推して出力する。つまり、AIのべりすとが出力するのは、青島の書いたものに対する青島の応答ということになる。

だからそう。この日記のタイトルは――

「AIのべりすとが勝手になにかの物語を進めていく」

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