Patrick Vegee 2020年10月7日の日記


昨日に引き続き最近聞いた音楽の話。ここ最近、疫病騒ぎでいったん白紙に戻ったであろう企画が再構築されたのかリリースラッシュが続いているような気がします。ありがたい。音楽業界、応援していますので頑張ってください……。


UNISON SQUARE GARDENの8thフルアルバム『Patrick Vegee』が9月末にリリースされた。毎日のように聞いている。おいおいおい最高傑作じゃないのか。UNISON SQUARE GARDENはある種かなり固有の「らしさ」を持っているし、その「らしさ」の範疇で盛大に踊るタイプのバンドだと思っているのだけど、その「らしさ」を再定義するようなアイデアに満ちたアルバムであったように思う。どこかの音楽雑誌にインタビューが出るようであれば答え合わせを期待したい。UNISON SQUARE GARDENは音楽を取り巻く環境というものに対するアンテナの高いバンドであるので、目まぐるしく環境を変えつつある最近の音楽シーンを踏まえて自己の境界線を見つめなおすような工程が挟まったのではないかと思っている。


このアルバムを特徴づける最大のポイントは「曲と曲の接続」にあるのだと思う。いや、もちろん他にも触れるべき部分は多くあるんだけど、それらは全てこの「曲と曲の接続」に根を下ろすものなのだと思う。アルバムの統一感という話ではGEZAN『狂(KLUE)』やandrop『Blue』がぱっと思いつくのだけど、『Patrick Vegee』はもう少し瞬発力のある、見えやすい、ライブ感のある機能を果たしている。突沸に似ている。一気に来るのだ。


例えばM3『スロウカーヴは打てない(that made me crazy)』の最後の部分で「レイテンシーを埋めています」という歌詞が入るのだけど、その次の瞬間(曲と曲の間が極端に短いのだ)M4『Catch up, latency』のイントロが始まる。「レイテンシー」という単語が強力に二つの楽曲を結んでいる。この『Catch up, latency』は2018年11月にシングルとしてリリースされたアンセムであり、ありていに言えば「アルバムの中でも盛り上がる曲」なのだ。このアルバムにおいて軸となるような楽曲に最大のパフォーマンスをさせるこのアウトロは計算されつくされている。というか同じ手法がこのアルバムにおいては何度も登場する。M6『夏影テールライト』の最後「ジョークってことにしといて」からM7『Phantom Joke』に、M8『世界はファンシー』の最後「Fancy is lonely」からM9『弥生町ロンリープラネット』に、さらにその最後の「ぼくらの春が来る」からM10『春が来てぼくら』へと、パスが繋がれていく。これは駅伝のようなバトンのつなぎ方ではなく、それぞれの楽曲がそれぞれに個人技での魅力を披露したのちに、その魅力をもって次のパフォーマーを紹介するような繋がれ方になっている。明らかにライブを意識したアルバムになっているんですよね。それこそandropが以前やっていた「アルバムの曲順通りのセットリストになっているライブ」の逆アプローチなのだと思う。アルバムらしいライブに対して、ライブらしいアルバムになっていると言いますか。


このような楽曲の在り方って、サブスク文化に対する一つのアンサーなんだと思うんですよね。単体として楽しむことも当然できる楽曲群であるけれど、それらを結びつけることによってさらに有機的な結びつきが産まれる。楽曲同士のリンクをどう解釈するかこそがアルバムの曲順やライブにおけるセットリストだ。その接続に対してUNISON SQUARE GARDENらしいアプローチをとったものがこの『Patrick Vegee』であり、今後の音楽業界を占う一つの試金石のような作品になっているのではないかと思う。


UNISON SQUARE GARDENはアルバムの世界観に引き込むためかアルバムの一曲目に外連味と中毒性のあるリフを有した楽曲を持ってくる傾向があるのだと思うけれど、これはライブらしい手段であるともいえる。そういう意味でも今作のM1『Hatch I need』は必聴だ。良いアルバムです。しばらくずっと聞く。

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