金曜日までに魚を焼く 2020年7月29日の日記


機械にめっぽう弱い。びっくりするくらいにパソコンのソフトを使いこなせないのだ。これは「パソコンのソフト」なんて雑な言い方しかできていない辺りからも察していただけるのではないかと思う。なにかをやろうにも必ずなにかしらの不都合が起こってしまうのだ。おかしい。


7月31日を予定している読書会の準備をぼちぼち進めているのだけど、どうもマイクの設定が上手くいかない。テスト配信で張り切って喋った私の声は一ミリも収録されておらず、ただ高速で切り替わるスライドが表示されていただけだった。架空の対談相手の声(私が事前に収録した)もBGMも鳴ることはなく、ただただ無音の画面が十数分間表示されている。とても困る。


USBポートにつなぐタイプのマイクを使っているんだけど、なぜかツイキャスで音を拾ってくれないのだ。普段の通話では困らない(困っても代替の手段で何とかしている)んだけど、配信となるとどうもうまくいかない。前回の読書会ではすべてクリアしていた分、どうして前できていたか不思議でならない。今できないことよりも、前はできていたことの方が不思議に思えてくるのは機械音痴あるあるなんだと思っているけどどうなのかな。なぜか上手くいかない不思議よりも、なぜか上手くいった不思議の方が強い。


音楽打ち込みソフトもたまに触ってみることがあるけど、そちらもどちらかというと操作の面での困惑の方が強いし、なぜかパソコンのストレージは常に限界近くになっている。そんなに重いソフトを入れている覚えはないのに。多分なにか消せていないからこんなことになっているんだろうけど。日常生活において一番足りていない専門知識はITスキルなんじゃないかと思うくらいには困っている。というかそういうのってみんなどうやって覚えてるの? やっぱりGoogleで検索したりするのかな。全然うまくいかないんだけど。


ここ数年で一気に機械音痴になったという実感があるんだけど、それは恐らく機械でやろうとすることの拡大に私自身の技術が追い付いていないから起こったことなのだと思う。パソコンにソフトをいれてうんたら、みたいな作業は以前はしたことがなかったし、しようと思ったこともないし、する必要もなかった。食事にたとえると「最低限ご飯は炊けるし漬け物もあるから食事には困らないよね」という段階から「あれ、この魚どう焼いて食べればいいんだ」という段階に移行しているのだと思う。今の私は魚が食べたいというこだわりを持ち始めている。


そう考えると、この「私は機械音痴だ」という自己認識もそんなに悪いものではないのかもしれない。やりたいことが増えているのに力が追い付いていない状況というのは、まだこれからその「やりたいこと」をかなえられるかもしれない余地があることも意味している。


さした努力もせずに「可能性は無限大だ」なんて軽々しく言ってしまうのもはばかられるけど、この力不足感は裏を返せばやりたいことや興味の対象が増えてきていることを意味するのではないだろうか。歌おうとしなければ音程が合わないことは分からないし、走ろうとしなければ足が遅いことも分からない。それと同じように、機会を扱ってしたいことがあるからこそ、今はできないということが浮き彫りになっているのだ。こう書くと少しいいことのように思えてくる。


……と、むりやりいい話のように纏めようかと思ったのだけど、私は現実に金曜日に迫った読書会の配信方法に困っている。「できないとわかるのはやろうとしたからなんだよ」なんて道徳をやっている場合ではない。今の私に必要なのは"""力"""だ。私の声や相手の声、BGM、スライドなどを画面に表示して電波に乗せるだけの"""力"""だ。本当に困っているので現実逃避をしていないでなんとかしなければならない。私は力がほしい……。


読書会『平成の終わりに百合を読む 百合SFは吉屋信子の夢を見るか?』は7月31日の21時からです。本当に配信できているかだけでも見ていただければ嬉しいです。できてなかったらあざ笑ってくれ。

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