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Yちゃん

Yちゃんは41歳で亡くなった。わたしは36だった。Yちゃんとはその4年前に精神科病棟で知り合った。おっとりゆったりな彼女とはお互いにペースが合い、一緒にいると心地よかった。

彼女はそこを退院してすぐに乳癌を患った。わたしも出産育児が始まり、しばらく会えない期間があった。それでも抗がん剤治療の合間に、Yちゃんは時折連絡をくれた。Yちゃんが元気な時には、一緒に入院していた仲間と皆で集まってお好み焼きを食べに行ったり、カラオケにも行った。Yちゃんの綺麗な歌声が今でも心に耳に残っている。MYLITTLELOVERの『Hello,again』を歌っていた。声ってどうしてこんなにいつまでも残るんだろう。

彼女の癌が転移してステージ4になってから連絡は密になった。彼女の自宅近くのカフェにも行ったけれど、じきに入院していることの方が多くなって、埼玉から東京の病院にわたしは通った。

Yちゃんは優しい女性だった。自分の気もちよりも相手を優先させることが多くて、自分を後回しにしがちだった。

本当の末期がやってきて痛みに耐えがたくなり、モルヒネが頻繁に使われるようになっていたある日、さっと病室を覗いて「大丈夫ですか~」と通り抜けていく看護師に、Yちゃんはきっぱりと「大丈夫じゃありません!」と言った。その声は相手には届かなかったけれど、わたしを見てYちゃんは言った。「こういう時、いつも大丈夫ですって言ってきたの。ぜんぜん大丈夫じゃなくても」わたしは目頭が熱くなった。「うん。すごくいいと思う」そんなわたしに、彼女は続けた。「ねえ、小絵ちゃん。わたしね、小絵ちゃんと出逢う前は、誰かに心をみせたり話したりできなかった。嫌だったんじゃなくてね、そういう環境に育ってこなかったから、やり方がわからなかったの」わたしはじっと聴いていた。「それなのにね、今はこうしてものすごくみっともない自分を小絵ちゃんに見せてる。小絵ちゃんのおかげだよ。小絵ちゃん。わたしはもうすぐ死んでいくけど、わたしにはもう一人のわたしがいてね、そのわたしは生きて幸せになるの。そのわたしは、小絵ちゃんなんだよ」そのときのその言葉を、わたしは映画を観ているような気もちで聴いた。

一週間に二度東京に通ったときもあった。子どもを親に託して出かけた。出かける時に、父は「おまえが泣くなよ」と言った。母は「二人で泣いておいで」そう言った。それだけで泣きそうだった。帰りの電車ではお腹がすいて、疲れとともにいろんな気もちもどっと出て、父の持たせてくれた菓子パンを下を向いて泣きながら食べた。

≪疲れたから明日は家にいよう≫そう思っていたら、珍しくYちゃんから電話がかかってきた。「小絵ちゃん。明日は来て。おねがい」断りづらかったけれど、無理もできないと思って断った。

その翌日亡くなったと知らせがあった。ああ、Yちゃんが来てと言ってくれたのに!わたしは大事な時に行けなかった。そんなわたしに、Yちゃんのお母さんが言ってくれた。「亡くなる前、二人ですごく静かな時間だったんですよ。天使を見てるみたいでした」そうだったんだ。母親とわかり合えなくて寂しがっていたYちゃん。最期はお母さんと二人で安らかに過ごせたんだね。

葬儀は驚くほど密やかに行われた。入院仲間はショックで寝込んでしまいこられなかった。私は手紙を棺に入れた。手紙にはこう書いた。『もしわたしがこれから赤ちゃんを産むことがあったら、そのときはわたしのおなかに来てね。大切にするからね』。ふと、遺族の中に入れないでいる男性がいるのを見かけた。「もしかして、Yちゃんのご主人ですか?」Yちゃん夫婦は離婚しようとした矢先に癌が発病して、時期を逃したままになっていた。男性が頷いたのでわたしは伝えた。「Yちゃん、最期に言ってました。≪Tくんも可哀想なのよね≫って。≪まだ若いんだからはやく次の人生に行かせてあげられたらよかった≫って」それを聞くと彼は身体をよじらせて泣いた。ああ、この人もずっと苦しんできたんだ。葬儀が終わって帰るとき、ご主人が来て「ありがとう」と言ってくれた。Yちゃん、わたし少しは橋渡しができたのかな。

親友を亡くしたらものすごい喪失感に襲われるのだと思っていた。でもそうじゃなかった。生きている時よりも自由に自然に、彼女が共にいる感じがした。Yちゃんの声がよみがえる。記憶と一緒に『Hello,again』を口ずさんだ。≪……僕は この手伸ばして 空に進み 風を受けて 生きていこう ……君の声が 今も胸に響くよ……≫途中で気がついて声がかすれた。ああ、この歌こんな歌だったんだ。Yちゃん、わたしにエール送ってくれてたんだ。生きてねって、生きて幸せになってねって。

それから半年後、わたしのおなかに命が宿った。わかった瞬間にYちゃんのことを思った。もしかして……。男の子かな、女の子かな。≪Yちゃんどっちがいい?≫心の中でYちゃんが笑って答えた。≪今度はやんちゃな男の子になってみたいな≫生まれた子は本当に男の子だった。生まれ変わりの話を知っている人が教えてくれた。生まれ変わりだと、わかるものなんだって。相とか性分とかがどこか似てるって。生まれたその子も、Yちゃんを思わせてはっとするような瞬間があった。でも生後3ヶ月になって、Yちゃんはわが子の中からすうっと抜けた。≪小絵ちゃん、もう大丈夫ね≫そう言われたのがわかった。そしてわが子はただその子になった。

その後41歳のとき、人生崩壊のような出来事に見舞われて、わたしは本気で死のうとした。冷たい北の海で死のうと思い、一人で海を渡った。結局現地の方々に手厚く助けていただいてわたしは助かった。帰りの機中で紅く染まる綺麗な夕焼けを見ていたら、突然Yちゃんの声がよみがえった。41歳で亡くなったYちゃんのあの声。「わたしには、もうひとりのわたしがいてね、そのわたしは生きて幸せになるの……」ああYちゃん!守ってくれたんだね!わたしはまたひとしきり泣いた。

これが、わたしの亡くなった親友との大切なエピソードです。

2020.4.11

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小絵

#私の不思議体験

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