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東京国立博物館で触れる生と死「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」

東京国立博物館で内藤礼さんの展示「生まれておいで 生きておいで」を観に行ってきた。

同じ日の午前中は、藝祭を楽しみました👇


生まれておいで 生きておいで

内藤礼さんについて

内藤礼さんと言えば、有名な作品は豊島美術館「母型」

生と死、そして地上で生きることの喜びについて、これまで様々な作品を発表されている。


今回の展示を観て、内藤礼さんの作品に対する想いをもっと知りたくなり、過去の展示に関する一冊の本も買ってしまった。

ー地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか。
内藤礼さんの作品の根源にあるのは、つねにそのシンプルな問いである。

内藤礼『O KU 内藤礼|地上はどんなところだったか』p38


東京国立博物館

今回の会場となる東京国立博物館は、建物や博物館の展示自体も貴重なものが多く、見応えがある。

常設展も時間があるときに、ゆっくり観に行きたい所です。

ニヒルな笑みを浮かべる埴輪

展示レポート

第一会場
最初に入った会場は「ケースのなかが生の外、ケースの外は生の内」なのだという。

部屋は暗く、ケースの中だけが光っており、一つ一つ作品が並べられていた。

私たちが歩く場所には、上から色とりどりの毛玉やガラス玉が吊るされていて、宇宙を漂っている気分になってくる。

シルクオーガンジーで作られた《死者のための枕》もここで見ることができた。たましいを休息させるためにつくった枕だそう。

ぷっくりと膨らみ、数センチほどしかない繊細な枕はその名の通りだった。


第二会場
今度は先ほどとは正反対に大きく開かれた場所にやって来た。

普段は博物館の展示のため長年窓を締め切っていたが、内藤礼さんの希望で、閉ざされていた窓のシャッターが解放され、自然光が降り注ぐ空間となっている。

いくつかガラスケースが床に置かれており、縄文時代の土製品(猿や猪の形をしているもの)や獣骨が収められていた。


この日、とても印象深い体験ができた。

部屋の中央、《座》という白い台座のようなものが置かれ、鑑賞者はそこに自由に座ることができる。

そこに座り、目の前に見えるのは、
縄文時代の遺跡から出土された《足形付土製品》と、長く伸びたまっすぐな木の杖。

鑑賞者の私たちはここに座ることで、「過去に生きた人」あるいは「人々の歴史」と対峙する形になる。

実際に座ってみると、目の前に広がる東京国立博物館という箱も含めて、とても大きなものと向き合っている気がして、圧のようなものを感じた。

自然光に照らしだされる展示室では、かつて太陽とともにあった生と死を、人と動植物、人と自然のあわいに起こる親密な協和を、そっと浮かび上がらせます。

本展示パンフレットより引用

第三会場

ここでは中央に、《母型》がぽつんと置かれている。

空っぽのガラス瓶の上にのせられた、水がいっぱいまで満ちたガラス瓶。

ここまでの展示会場の雰囲気とは明らかに違い、生命の瑞々しさを感じるような作品でした。

この後、銀座エルメスの別会場にも続きの展示があり、そちらも楽しんできました。


古いフィルム写真

この文章を書いている今日、4年ほど前に河口湖で撮ったフィルムを現像してきた。

古いフィルムなのでかなり色褪せてしまっているけど、どことなくこの展示を思い起こさせるような写真だった。

ぼんやり滲んでいるけど、やさしく美しい。

ーもしも死んだ人が、地上はどんなところだったかと思いだすとしたら、その風景はこんなふうに見えるんじゃないか。(中略)
遠くから見る地上は距離に祝福されてやさしく滲みあう。

内藤礼『O KU 内藤礼|地上はどんなところだったか』p38



今回の展示会の図録はこちら。


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