負社員 第52話 ブラックまたブラックそして 闇

「え」結城が目を剥き、

「幾らなんだ」時中が眉根を寄せ、

「まあ、そんな」本原が口を押える。

「鹿島さんに確認するわ」木之花は急いでそう報告した。

「今、折衝中」鹿島の声が間髪を入れず届く。「抜かりはないよ。けど……」

「鹿島さん」天津が右耳を手で押えて呼ぶ。「マヨイガは何て」

「新人君たちを買い取りたいって話?」酒林が被せて訊く。「一体なんでまた」

「うん」鹿島の声もまた、どこか戸惑いを帯びていた。「マヨイガはこの三人をこのまま引き取りたいと……今回、地球環境から生体保護をした件の謝礼分を差し引いた買取価格が、さっきの値段になると言ってる」

「う」天津が声を詰まらせ、

「うわ」酒林が仰天し、

「じゃあ百三十倍以上あるってことか、天津の」スサノオが叫ぶ。

「依代代、の」天津が小さく付け足す。

「まじで?」結城が眼を丸くし、

「幾らなんだ」時中が眉根を寄せ、

「お高いのでしょうか」本原が口を押える。

「それで鹿島さん」木之花が割り込む。「当然断ったんですよね?」

「ああ、無論」鹿島は答える。「だがマヨイガは了知の返答をまだ寄越してきていない」

「聞く必要ない」木之花は断言する。「一刻も早く、そこから出て。天津君」

「うん」天津は両腕を広げ、新人たちを囲い込む仕草をしながら頷く。「現場にも急いで戻らないと」

「連絡はしてある」スサノオが告げる。「車のトラブルで、戻りが四十分後になるってな」

「お前が?」酒林がまたしても驚く。「あまつんの声真似で? てか、なんで?」

「うるせえな」スサノオはむすっとしてそっぽを向く。「こいつらを鍛えてやるためだよ」

「けど、じゃあ四十分で戻らなきゃいけないってことだな」天津は自分の依代の腕に巻かれている腕時計を見、「急ぎましょう」新人三人を見回して言った。

「はいっ」結城が叫び、

「帰りは徒歩になるのか」時中が呟き、

「まあ、そんな」本原が眉根を寄せた。

 一行は玄関へ向かおうとしたが、全員が一斉に足を止めた。

 戸口の前に、馬が立っていたのだ。厩の戸は開け放たれ、黒毛の馬はそこから出てきたようで、玄関の戸口の前に一行の方へ顔を向け佇んでいた。玄関――天津たちが入って来た時には開いていた戸口が、いつの間にか締め切られていた。

 馬は首を僅かに上下させたり、尻尾を緩やかに振ったり、前足で少し足踏みをしたりしていたが、特に機嫌が悪いようでも荒くれている様子でもなかった。だが一行は、そこに近づくことを強く躊躇したのだった。

「勝手口」酒林が馬から視線を外せぬまま顔を少し横に向けた。「から、出よう」

「嫌な予感はするけどな」スサノオがぽつりと溢す。

 一行は台所へ向かったが、案の定勝手口の引き戸は誰がどんなに力を込めて引いても、びくとも動かなかった。

「マヨイガは、この新人三名が“次世代地殻”の構成物質として利用できると考えているらしい」鹿島が告げた。

 一行の戸を引く手はぴたりと止まり、誰も口を利くことができなかった。

     ◇◆◇

 ――次世代、地殻?

 それは地球にとっても比喩的に仰天させられる言葉だった。

 ――どういう、こと?

 地球は比喩的に眼をぱちくりさせた。

 ――次世代……ってことは、今の地殻に代わる、新しい種類の地殻?

 地球は比喩的に想像を巡らせようと試みたが徒労に終った。

 ――どういう、こと?

 ただその問いを、繰り返し比喩的に唱えることしかできなかった。

「鯰、くん」結果として、珍しく――何千万年かぶりに地球は、スポークスマンに自分から呼びかけたのだ。

     ◇◆◇

「次世代地殻」天津が声をかすらせて呟き、

「って、何?」酒林が視線を宙に泳がせながら誰にともなく問いかけ、

「構成物質って」スサノオが亡羊の体で新人たちを見やる。

「ん?」結城が首を突き出し、

「何だ」時中が眉根を寄せ、

「私たちのことでしょうか」本原が小首を傾げる。

「鹿島さん」木之花も声を震わせる。

「うん」鹿島だけが穏やかな声と口調を保っていた。「もっと詳しく聞いてみるから、ちょっとだけ待って」その声は他の神たちにとって、何にも勝る安全保障のように心に安寧をもたらすものであった。

 神たちは眼を伏せ、口を閉じて待った。

「俺ら、どうなっちゃうんすか」結城が天津にそっと問う。「お買い上げされちゃうんすか、マヨイガに」

「それはありません」天津が首を振り即答する。「マヨイガが何か誤解してるみたいなんで、今鹿島さんが説明してくれてるところです。すぐに帰れますよ。すみません」ぺこりと頭を下げる。

「けどあの値段でもし売ったとしたら、すげえ儲けになるよなあ」スサノオが誰にともなく呟く。「こいつらの遺族に補償金支払っても」

「おい」酒林が声に凄味を利かせて遮りスサノオを睨む。「そろそろ本気でぶち切れるぞ俺は」

 新人三人は同時に目を見開き、体を硬直させていた。

「大丈夫です」天津が真剣な顔ですぐに頷いて見せる。「繰り返しになりますが、我々八百万の神と呼ばれる存在の者が総力を結集して、皆さんの身を護ります。何者であろうと、絶対に危害は加えさせません」

「はい」結城が頷き、

「――」時中は黙して天津を凝視し、

「まあ、神さま」本原は眸を潤ませ頬を押える。

「あれ、本原さんやっぱ天津さんに気があるんじゃないの?」結城が口を尖らせて本原に訊く。

「穢れの言葉を取り下げよ、不浄の輩」本原は自分と結城の間の空間を手刀で切り裂きながら宣告した。

「あれがクーたんの教え?」酒林が天津に訊ね、

「いや……」天津がぎこちなく首を傾げた。

「花崗岩の形成過程に高度生命体の成分を加えることで、地球の火山活動に対する耐性が生まれる可能性があると言っている」鹿島が伝えてきた。

「そんな」天津が声をかすらせ、

「馬鹿な」酒林が激しく首を振り、

「へえ……」スサノオは感心したように頷いた。

「この三人を使えば、地球との対話時に発生させる空洞の強度が倍増する、と」

「へえー」一行が絶句する中、スサノオだけが関心を示した。「そいつは是非、試してみたいもんだなあ、ええ」にやりと笑いながら新人たちを見回す。

「させるかよ」酒林が新人たちの前に立ちはだかり、

「今はここから出るのが先決だろう」天津の広げた両腕からは何か神威を感じさせる光輝が発せられ、新人たちを包み込む。

「あの、何がどうなってんすか」結城は天津の光輝に眼をしばたたかせながら質問し、

「何がどうなんだ一体」時中は首を振りながら呟き、

「マヨイガさまが何か仰ったのでしょうか」本原が口を押えて確認する。

「お前らをマグマと一緒に固めてみたいってよ」スサノオが顎を持ち上げて伝える。

「い」結城が声を詰まらせ、

「マグマと」時中が眉根を寄せ、

「まあ、そんな」本原が嘆息した。

「戸口から離れてってさ」その時出し抜けに、甲高い声が響いた。

 一行は一斉に、はっと身体をすくませた。

「鯰か」すぐに天津が叫ぶ。

「地球か」酒林も叫ぶ。

「余計な事すんな」スサノオも叫ぶ。

 ぶひひひひ

 突然、馬がいななく。一行ははっと馬を振り向いた。

 その次の瞬間、マヨイガの天井のど真ん中から、闇が差し込み始めた。闇は最初、染みのように天井の真ん中に現れ、すぐに放射状に広がり始めて壁にまで達し、みるみる土間の床までを呑み込んでいった。

 マヨイガは、黒い絵の具で塗り潰されるようにその姿を消して行った。

 ぶひひひひ

 馬が顔を仰のかせていななく。天津は両腕から発する光輝で新人たちを包み込み、酒林は両腕を後ろ手に広げて三人を庇い、スサノオはなす術もなく闇に呑まれてゆく周囲の景色を苦々しげに見回した。

 ぶひひ

 いななきの途中でついに馬自身も黒く塗り潰されるように、闇に消えていなくなった。

「こっちに来るっすよ」結城が慄いて叫ぶ。「俺らも消えるんすか」

「大丈夫です」天津は瞼を伏せながら強く頷く。「我々が護ります」

「神さま」本原が胸の前で両手を組み、それから掌を広げ合掌に切り替えた。

「大丈夫」酒林も肩越しに振り向き笑って見せる。「クーたんに負けないよう頑張るから」

「うわっ」スサノオが驚きの声を挙げる。

 全員がはっとその方を見ると、スサノオの入っていた天津型依代までもが今、闇に呑まれて下半分ほど消えていた。

「うわっ」結城が驚愕して叫ぶ。

「消えるのか」時中が戦慄の声を挙げる。

「神さま」本原は合掌したまま溜息混じりに神を呼んだ。

「やべえな」酒林が自分の身体を見下ろしながら危惧の声を挙げ、

「まずいな」天津も眉をひそめ周囲を見渡す。「まだ替えたばっかりなのに」

「え」結城が二人を見回し、

「消えるのか」時中が戦慄の声を挙げ、

「神さま」本原が合掌したまま天津と酒林を交互に見る。

 そして神たちもまた、闇に呑まれその姿を消した。

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