二人で頑張ろう

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この絵を描き始めたきっかけ。

それは、育ての親の祖母が胆嚢癌で亡くなったのがきっかけです。

離婚しようと決めて家を衝動的に飛び出して気付けば姉の家に行ってました。ずっとお世話になるにもいかず漫画喫茶やゲストハウス等を転々とする日々を過ごしていたときに祖母が胆嚢癌であることを聞かされました。最初はショックがとても大きかったです。その一年前に育ての親の祖父が亡くなったのでまさか祖母まで失うと思ってもみなかったので悪い夢を見ているのかなと思いました。

離婚しようと固く決意したのはその祖父が亡くなったときの前の夫のある一言がきっかけになりました。『お前の祖父であって俺の祖父ではない』言葉をそのまま聞くと当たり前と言えばそれまでな話です。でも、その時とても精神的に一番支えて欲しい位疲れていて失声症(急に声が出なくなった)と鬱病になっていて仕事をしているだけでも何とか座っている状態でした。と言うのも、祖父の葬儀の後すぐ家に帰宅、別れの挨拶して本当は色々親戚や幼い頃からの知り合いがいっぱいで、もっとその場に居たかったのですが夫に決められた時間の飛行機に乗らないといけなくなり急いで帰らないといけない状態でした。その日から寒気が止まらなくて鎮痛剤で何とか凌いでいて三日後に気付いたときには立てなくなるくらいふらふらな状態でした。祖父の死のショックが大きすぎてゼリーしか喉に通らず食事もろくにしてなかったので体力的にも精神的にも限界に達してました。

失声症になったとき夫は『ただの風邪だ、馬鹿なこと言うんじゃない』と言い、鬱病になったときは『鬱病じゃない』とどちらも完全に否定されて信じてもらえなかった。

それだけではなく職場でも同様で生きる気力を失い、気が付いた時には電車に乗り小田原に着いてました。そして何を思ったのか結婚指輪を線路に放り投げ、お金を財布から全部捨て、財布、身分証明書、鍵(職場、自宅)、携帯、PASMO、Suicaを駅のゴミ箱に捨てそのまま駅のトイレに籠もっていて気付けば最終が終わってたのでホームに降りれなくて我に返った時には何も持たない状態で改札を出るしかありませんでした。

そしてお金もなければPASMO、Suicaもなく身分証明書もない、携帯もない、そんな状態でひたすら小田原をさまよい、野宿して食わず飲み物はトイレの水をひたすら飲みました。二日間位さまよい偶々川沿いを歩いていて死に場所を探してました。その時に見知らぬ人から『今から北条祭りがあるから見に行った方が良い』と声をかけられふらふらとその言葉につられて見に行き柳沢慎吾が馬に乗っているのを見て何だか帰らないといけないという気持ちになりました。

ただ問題は何もかも捨ててしまったため警察に頼るしかなかったのですが初めは分かって貰えず、夜を待ちもう一度警察に行き事情をもう一度説明して捜索届が偶々出されたお陰で何とか帰ることが出来ました。

小田原の駅では私の行動が変だったのでゴミ箱を全部見てお金以外は全部回収して夫には渡していたので駅に行っても事情を把握してなくてどうにもならなかったのです。

そして夫に小田原まで来てもらいもう離婚しようと話しました。その時にやっと失語症が治りました。多分一時的なものだったのかもしれません。そして帰った後すぐ姉の家に行き姪と甥達と遊んでいる内に元気を取り戻し鬱病も治ってしまいました。

職場には診断書を出していたのですがそんなに簡単に症状が良くなってしまったため上司には理解して貰えず何度か面談して時短の話をしたり異動の話をしても受け入れて貰えず結局辞めるときも有給で色々あって違約金まで発生しました。

それからはまた前職に戻って収入も良かったので兎に角逃げられるお金を貯めました。

それまでは無理矢理好きでもない職場に転職して結果有給でもめて違約金まで出て踏んだり蹴ったりみたいな感じで夫ももう失踪してからは無理強いはしなくなりました。

そんな経緯から離婚しようと思って取りあえず漫画喫茶やゲストハウスで家が見つかるのを待ち、家出したとき初めて土曜朝活に参加して号泣して『人生を変えたい』と大勢に宣言。家の件でもシェアハウスを進められて良いシェアハウスを見つけて新しい生活が始まりました。

家出してから夫からは執拗な程の脅迫メール、40件の電話が毎日あり夢でも夫からは逃げられない悪夢を見続けてました。

そのお陰もあり区役所にDVの相談して警察に連携を取ってもらい、良い弁護士さんも紹介して貰いました。

そして家出したタイミングで転職してたのでそこにも電話などがあり精神的に追い詰められ心療内科に通う日々を過ごしました。

仕事もいつ夫が来るか分からない恐怖で辞めてまた転職をして収入も安定せず普通に朝から仕事して夜勤もする日々になりました。

一度は生活保護も進められてそれだけは頑なに拒否しました。理由は夫が言っていた言葉に『生活保護を受ける人は生きている価値もない』と言われていたので何かどんなに大変でも何が何でも頑張ろうと思いました。

一時一日8円しか持っておらず日当たりのバイトともう一つ掛け持ちして自転車操業みたいな状態でお金が入っては消えない入っては消えって状態で安定するまで暫くかかりました。

そして落ち着いた時にまた土曜朝活に参加してカズさんと付き合って同棲となったときに祖母が状態が悪くなりその前にお見舞いに何回かいけたお陰で心残りはなかったのですがどうしようもない喪失感、無気力に襲われやっと安定した仕事に就いて電話対応も苦手だったのをずっと我慢してきていたのに精神的に不安定になり辞めるという相談をしました。その時は対応をして貰えず私が何度掛け合っても理解してくれなかったのでカズさんにはとても助けられました。

仕事を辞め暫く何もしない状態が続きそんな時に『好きなことをしてみれば良いじゃん』と言われて好きなことが何か分からなくてずっと模索してたどり着いたのが『絵』でした。

そして最初は自分を励ますためにこの二枚を描きました。自分でも言う通りお世辞でも上手くないです。それがカズさんに見せたらとても褒められてそれが自信に繋がり仕事が生き甲斐だったのが趣味が生き甲斐になりました。

そんな風に変われたのはカズさんのお陰です。カズさんには辛いとき悲しいときどうしようもない時に優しくそっと側にいて手を差し伸べて包み込む優しさと温かさを感じました。だからこそ精神的に支えて貰えたお陰で色々克服する事が出来て今では強く逞しく生きています。本当に素晴らしい人に出会えて私は幸せ者です。


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