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No.442 見えないものを見ようとして

人は視覚から8割の情報を得ると聞いたことがある。「百聞は一見にしかず」なんてことわざもある。“見える”は“わかる”ために必要不可欠なのだろう。

ウイルスは見えない。見えたら場所とか量とかもわかるし、近づかなくて済む。でも見えないから、最初は“ないもの”だと感じて何もしない。症状が出るとか、患者数がわかるとか、“見える”ようになってきて怖さを実感する。

そうなると、今度は“見えない”から怖くなる。正体がわからないから、そこらじゅうにうようよいるような気がして。

だから「なるべく見せて!」と思ってしまう。要は検査しているのかとか、症状はどうなのかとか、見てわかる情報で“見えない”を埋めようとするんだと思う。


ウイルスだけじゃなくて、見えないものに対して、人は“見える”ことで理解しようとする。愛情とかもそう。

愛情表現してくれない恋人に対して「本当に私のことが好きなの?」と不安になるのは、愛情が“見えない”から。「一緒にいるだけでも愛情」だからと、わざわざ愛情表現をしない人もいる。

不安に思う方からしたら、「言ってくれなきゃわかんない」から“見せて”ってことだし、不安がられる方からしたら「言わなくてもわかってよ」って“見てよ”って感じだし。

見えないものを見ようとするときには、思いやりが必要だと思う。恋人の愛情表現が少ないなら、「これが相手なりの愛情表現なんだな」と思いやって気づくこともできるし。恋人が愛情表現を求めるなら、「好きなら伝えることも大切なんだな」と思いやって気づくこともできるし。

互いに思いやりを持てば、“見えないものも見える”。

ウイルスも実態がわからないと「ちゃんとして!」と言いたくなるけど、どうしてわからないのか考えてみると、いろんな理由があることに気づける。相手への思いやり。相手は「いやちゃんとやってるよ…」と返したくなるくらい疲弊しているだろうし、ただ不安やストレスをぶつけるために大変な人たちをもっと大変にするのは思いやりがないような。

「ちゃんとして!」と言われた方も、たくさんすぎる声からどれを拾うか選別するのは難しいし、それどころじゃない量のやるべきことがあると思う。周りにいる人が思いやりを持って、互いの思いを届けられたらいい。

これもまた理想論なんだけどね。結論、思いやりを持とう。小学校の標語かな?でも、結局それが一番大事。

歌詞に始まり、歌詞に終わる。JASRACが「どうも~」ってやってこない引用だと思うけど、大丈夫よね?

2020年3月5日(木)

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