No.562 甘えを捨てようとした次の瞬間、また甘えてる

ついつい甘えてしまう、フリーライターのaoikaraです。

甘え上手という意味ではなく、ついつい自分がラクな方に進んでしまうという意味で。


今日は掃除と片付けをした。今朝、「用事で仕事を休む」なんてもっともらしく書いたけど、本当は「掃除」と「片付け」という、仕事を休むなよと言われてしまいそうな“用事”。

でも、仕事ができないほど、長く時間がかかるだろうと思っていた。それは、私が甘えてしまうから。ラクな方に進もうとするから。


最近、仕事を本当に一生懸命にしてる。仕事の合間に趣味も楽しんでる。気持ちの上では、すごく充実してる。

と、思っていたのだけれど、体調が整ってないみたい。私は体調が悪くなったり免疫力が下がったりすると、体にある変化があって、最近になってその変化が出てしまったからだ。

よく考えると、仕事以外はおろそかにしていることも多くて、健康面に気を遣っているとは言いがたいし、変化があってやっと「深刻だ」と気づいたくらい。重い病気とかではないので、あくまで私の中での「深刻」という表現なのでご心配なさらずに。

それに、今年になってからずっと太り続けている。今年に入って、「あ~太っちゃった」と思って、それから1ヶ月したら「1ヶ月前の私なんて、全然細かった」と思えるほどで、それがもう毎月続いてる。

太るっていうのは、やっぱり食べすぎるからで、理由としては疲れていると甘い物が欲しくなる。甘い物の次はしょっぱい物が欲しくなる。そんな繰り返しで、ガーって食べて、後悔して、明日からは生まれ変わろうと思って、でもまたガーって食べて…繰り返してる。

これは私のよくある悩みで、10代後半から痩せたり太ったりを繰り返してる。身長が止まってから人生最高体重も、人生最低体重も更新してしまった。でも、去年一度痩せてから体型を一定にキープすることもできていたのに、一度タカがはずれるとまた太ってしまう。

でも痩せた実績があるから、また痩せられるだろうと油断する。いつでもまた戻れるからと。そうして7ヶ月経った。強い意志で、今日から私は生まれ変わらなきゃと思ったのに、気づくと甘い物を欲してる。そして食べてる。今、決意したのに、次の瞬間もうダメ。何だこれは。

この半年で私に良い習慣も身についている。今までやっていなかったことでも、続けていけば身につく。でも、それと同じで悪い習慣も一度つくとなかなか抜けない。悪い習慣だって身についてしまう。


本当は全てうまくやりたい。仕事もダイエットも。ほかのいろんなことも。でも無理。全てをうまくはできない。バランスを取って、それなりにほどほどに、できるようにならなきゃ。それはわかってる。

こんな自分は自分を好きになれないし、外に出るのも怖い。恋人に嫌われるのが怖い。でも、誰かにひどい言葉を言われたり、恋人に嫌われたりしても、仕方ないと思ってる。そうやって、本当にそうなったときのために、傷つく心の準備をしてる。

昔よりは、自分は完璧にはなれないと知っていて、完璧ではない自分も愛おしく思えるようにはなったけど、あまりにも自分をコントロールできないと、やっぱりこんな自分は好きではなくなってしまいそうになる。

いつでも私は生まれ変われる、私はできると思いながら、自分に甘えてる。体重の増減だけでなくて、いろんなことへの甘えでね。自分だけ悩むならいいけど、それで他人に迷惑をかけて、何もできなくなってしまってる。人生で何度も繰り返していて、本当に嫌になる。


目の前を見ると、私の部屋は物であふれて、散らかっていて、私の頭の中と同じ。あれも、これも、欲張りすぎる。でもできないから、放置する。そんなものだらけで広がってる。

その甘えがすごく嫌で、これじゃダメだって思って、でも目の前にあるから目に入ってきて、朝から仕事していたけどやめて、部屋を片付けることにした。あまりにもだらしなくて、たくさん散らかしていたから、ものすごく時間がかかってしまった。

「これは後で」はナシで。とことん。片付けは得意じゃない。だから、目に入ったものから躊躇なく手を伸ばして、全部片付けた。いらないものは全部捨てた。むしゃくしゃした自分の気持ちも一緒に整理するように。

あまりにも物が多いから、終わりが見えない。でも、全ての物に手を出した状態から止めるわけにもいかない。途中、休みながらも、ただただ片付けた。自分の捨てたいものも一緒に捨てるように。

ゴミ袋何袋になっただろう。一番大きいゴミ袋がどん、どん、どん、どん…いっぱい並んでる。物が減って、ゴミが減って、ほこりが消えた部屋は心なしか広く見えた。視界が広がったみたいに見える。

できないって思ってたけど、苦手だって思ってたけど、私にもできるんだ。甘えていたけど、甘えを捨てたら、不要なものは捨てられる。ちゃんとできる。完璧じゃないけど、私にしてはよくできた。

すごく清々しい気持ちになって、でも憑き物が落ちたみたいに、ぐしゃぐしゃに泣いてしまった。安堵みたいなものだと思う。いろんなものを流してしまいたかった。


ちょっと蛇足の話。今日は本当に自分が嫌で、甘ったれでうんざりしてたけど、そんな自分を奮い立たせてくれたのはアイドルだった。片付けの間、ずっとアイドルの音楽を聴いてた。口ずさみながら、テンションを上げて片付けた。最近ハマってるNiziUのアルバムを延々かけ続けてた。

休憩中には、Nizi Projectのオーディション映像をずっと見ていた。ひたすらに見ちゃう。

前にもあった。挫折して、ああ私ってダメだなって思ったとき、ただひたすらアイドルの姿を見てた。あのときは乃木坂46だった。

誰かが一生懸命にしている姿、苦悩しながらも乗り越えて頑張る姿、そしてキラキラと輝いている姿、歌声って心を動かす。ずっと聴いてしまうほど、見てしまうほど、自分を奮い立たせてくれる何かと癒やしを求めていたのかな。見ている間は笑顔で、同じように涙して、聴いているときはテンションが上がりまくってた。

アイドルにも感謝。


そしてね、でも掃除と片付けの途中や、終わった後で、また過食しちゃったんだよね。鏡の前に映る自分が「自分の中では太ってる」から「誰から見ても太ってる」になってて、今度は違う意味で泣きそうになった。自分の情けなさでね。

掃除や片付けみたいに、一日必死にやったら、すっかり痩せるもんでもないんだよね。コツコツ、やらなきゃ結果は出ない。コツコツ、の数をどんどん増やしてしまったのは私だから、私が何とかするしかない。

だから、今日は必死に運動した。アイドルの歌を聴きながらね。歌詞で自分を奮い立たせて。運動は最近はできてるんだけどね、食事をなんとかしなきゃ。いきなり高見を目指さないで、目指したくなるけど、着実にできることをやっていこう。一つずつ、コツコツ。

できない自分に泣きそうで、今も本当に情けない気持ちなんだけど、今日のような清々しさも忘れないで、「できる」自分も信じたい。できない自分も認めたい。まずは今日、ゆっくりと休もう。


P.S.片付けしていたら昔の日記や写真、なくしていたと思っていたものが出てきて、懐かしい発見があった。

2013年の日記に「粗品という芸人が面白い」と書いてあって、霜降り明星さんがM-1グランプリで優勝したのが2018年だから、私は先見の明があるなって感動した。

でも、これが本当に2013年だと証明できないし、日付は書いてあるけど私が今「2013年」とも書けるし、誰にも信じてもらえそうにないから、すごく残念。でも、呼び捨てなのがリアルでしょ?(笑)本当に本当なんだよ!

2020年7月3日(金)


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