想像力の世界を生きている
想像をして、ふふと口角が上がっていた、フリーライターのaoikaraです。
「とある芸人さんが3歳のお子さんに電話をする」というような文言を見ただけで口角が上がった。ふふ、と声も出た。
その芸人さんの人となりをくわしく知っているわけでもないし、ましてご家族のことも知らない。だけど、その姿を想像しただけで微笑ましくなって、なんだか幸せを感じてしまった。
実際にその様子を見たわけでもない。だから、微笑ましいと感じているのは想像でしかない。
もしかすると、世の中はこういうものだと思っていることも、大部分は自分の想像力なのではないか、という気がしてきた。
私はつい悪い方に想像をしてしまう。もし悪いことが起きたらどうしよう、が連鎖する。備えができる、と考えれば利点でもある。ただ、頭の中も身の回りも携えすぎてしまうので、精神的にも物理的にも重くなる。
そういうときは、現実に起こっていることと、そうではないことを整理する。自分が不安に思っていることの大半は、事実に基づいて作り出した自分の想像に過ぎないことが多い。
でも、感情として不安なのは事実だから、全てを否定するのはつらい。だから、事実はここまでで、ここからは想像でしかない。というラインをしっかり引いておくことが大切で。
自分では何もできず、落ち込むことがあった。感情をコントロールしようとしてうまくできず、あふれてしまうこともあった。
でも、今日はそんなことを忘れて「今日のパンは焼きたてでふわふわでおいしいなぁ」なんて思っている自分に気づいた。
落ち込んでいる状態はなんら変わっていない。だけど、私は今たしかに幸せだ。ただおいしいパンを食べただけ。でもたしかに、おいしいパンを食べるのは幸せだ。そして、また、まだおいしいパンを食べていたい。
想像力で人は不幸にもなれるし、幸せにもなれる。全ての状況には当てはまらないし、人それぞれ想像力の方向性は違う。ただ、同じ自分でも、同じ状況でも、不幸な想像もするし、幸せな想像もする。
私は、おいしいパンを食べる想像をしていたい。
2021年10月23日(土)
No.1034
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