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何周も回って絡まったものをとけば、まっすぐになる

一周どころか、何周も回ってぐるぐる考えてしまう、フリーライターのaoikaraです。

だから考えがものすごく複雑になる。絡まり合ったケーブルのようにごちゃごちゃ。少しずつていねいに紐解いていけば、絡まりは取れて、まっすぐになる。気持ちって全部最初はまっすぐなはずなのにね。

だけど、何周も回ってしまうクセがある。自分が我慢をするか、相手が我慢するか。自分が我慢をするのはしんどいし。だからといって自分の気持ちを押しつけて、相手に我慢させるのもしのびないし。本音はどっちも嫌だ。

じゃあ全部なしね、って相手に言われるのがこわい。自分ばかりにならないよう、なるべくは自分が寛容になって、相手への思いやりを持とう、と意識している。


とはいえ、ふとした瞬間に「私は我慢している」という意識が態度にこぼれてしまう。こぼれてしまった自分も嫌だし、だけど私だって私を大事にしたいと思うし、反省と開き直りどちらの感情も出てくる。

「結局、どう思っているの?」「結局、どうしたいの?」と聞かれても、わからなくなる。相手を思いたいという気持ちは本当だし、自分から出てしまった嫌だという態度も本当だし。

でも「どっちも本音」と話す言葉はどこか空虚で、話せば話すほど「自分が大事な人」みたいに感じられて、悲しくなる。

きっと「自分ばかり大事にする人」は嫌な人間だと私は思っている。私自身にも「自分ばかり大事にする」要素があるから、心当たりがある。だから、嫌な自分が出ないようにする。

だから「相手を大事にしよう」と思う。本当に、相手を大切に思っている。とてもとても大切。なんでも私の言うことを聞いてほしいなんて、思ってない。わがままじゃない。


「自分がいい人でありたい」のだと思う。だけど、そうじゃない自分をたくさん知っているし、相手と接していて「いい人ではない自分」が出てしまったとき、自分が抱くような失望を相手が抱いて、離れてしまうのがこわいのかもしれない。

人と人だから、関係を築いたり、解消したり、近づいたり、離れたり、あっていい。誰だって自由。誰とだって自由。と、頭ではわかっている。

だけど、本当に失ってしまったらこわいから、本当の私を知ったら失ってしまうかもしれないから、「いい人」でいたい。嘘をついているわけじゃない。「いい人」な私も、一部分ではあるけどいる。

だけど、「いい人」なだけじゃない。


素直にならなきゃ自分を見失う。「いい人」も「いい人じゃない」自分も自分なんだから、どれかを選んで好きに人に見せようなんて、人間はそんな都合よくできてない。できる人もいるけど、私はうまくできない。そして、自分で勝手に苦しくなる。

素直になろう。ちゃんと伝えよう。厚かましくて、面倒くさくて、わがままでも、それが私なら私だけは受け止めて生きていかなければならないのだから。

2021年7月31日(土)

No.950

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