見出し画像

No.597 今さら「いいね」を気にしてる

言語化できないけど、なんか、すごく、これいいぞ!!!みたいな気持ちを「いいね」に集約してもらえてありがたい、フリーライターのaoikaraです。

今日は「いいね」のお話。

SNSが流行の波に乗ったとき、「いいね」稼ぎなんてことが話題になった。今でもあるのかな?私生活を切り取ってSNSにアップしたら「いいね」がもらえる、だったはずなのに、SNSで「いいね」をもらうために生活を送る、というような。

そんなたいそうなものではないけど、私は今さらになって、ちょっと「いいね」を気にしてる。ツイッターをちらちら確認したり、note書いてちらちら数をたしかめたり、してる。

それなりの数があってほっとしたり、数が少なくて寂しいような気持ちになったり。私のnoteはネガティブな方が「いいね」が多いから、ネガティブなことを書いた方がいいんだろうか、と思ったり。

でもね、なんだか頻繁に見て気にしてる自分が、ちょっと嫌。なんか揺らいでいる感じがして。

ずっと「いいね」をチェックしているわけじゃない。全然気にしていないときもある。気にしてないからこそ、予想外に「いいね」が多くてうれしくなる。でも少なくても、「まあそうだよな」と受け止めている。

四六時中気にしているわけではないので、「まあ“いいね”なんて別にいいじゃないか」という気持ちも理解できる。でも、焦ってしまうような、気にしてしまうときもあるのはなんでなんだろう。


そわそわして、「いいね」が気になってしまうのは、「理解してほしい」という思いで書いたときかな。それか、SNSとかnoteとか関係ないところに自分で不安があって、「いいね」の安心感で埋め合わせしようとしてるとか。

あ、自己肯定感が低いときなのかもしれない。たとえば気分が落ちてるとか、仕事で成果が出ないとか、人間関係がうまくいってないとか、ダイエットが思うようにできてないとか、そんないろんなもので自己肯定感が低くて、「いいね」で肯定された気分になっちゃって、「いいね」を求めちゃうのかもしれない。

ものすごく自己肯定感が低いわけではないけど、ときどきは揺らいでしまうときはある。「私は私」と自信を持てるときと、「あーあ、私だからしんどい」って落ち込むときがあるし。

肯定感を他人に委ねようとするから、ふらふら揺らいでしまうのはわかるけど、じゃあ全部自分でやってやろうとどっしり構えるほど芯が強くないんだろうな。

ここまで書いて、だったらどうやったら芯が太くて強い自己肯定感を身につけられるのかな、と調べてみたら「エクスプレッシブ・ライティング」という方法を見つけた。自分がストレスに感じていること、ネガティブに感じることを、20分書き続けるというもの。詳細を書くとより良いらしい。

あれ、これ私がnoteでやってることと似ている。今一番に考えていること、どうしても書いておきたいこと、心につっかえていること、普段は言わないし書かないけどnoteなら書けそうかなということをnoteに書いてる。

そして、まさに今も「自分ってこういうの気にしちゃって嫌だな」とネガティブな内容を書いていて、悩みを見つけながら悩みを解消している、という不思議な現象。

それじゃ、noteってものすごく私のためになってるんだ。と思うと、「いいね」にまつわるもやもやが、スッキリとまではいかなくても、切れ間から晴れた空が見えたような感じにはなったかも。うん、なんだかうれしい。

というわけで、noteはこれからも正直な気持ちを正直なままに書いて、自己肯定感を高めるために使っていこう。究極に自分のために、自分が「いいね」と思えるように。

2020年8月8日(土)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?