怪物は愛の夢を見る

過日、ナショナルシアターライブのフランケンシュタインを見る。ベネディクトカンバーバッチが怪物版だった。

原作は随分前に読み、なんて素晴らしい叙情SFだと感動したのを覚えている。
ダニーボイルの演出も素晴らしく(かなり偏愛の情で見ているので容赦されたい)、無数の電球の煌めき、怪物とヴィクターフランケンシュタインが対峙するシーンは圧巻である。
人類が創造主たりえるのか、生や死にどこまで介入すべきなのかということと、愛を求めるものと愛を拒絶する者の対比は面白い。また人間の傲慢さや、創作、詩に対するリスペクトが感じられ、また俳優の鬼気迫る演技に圧倒される。

リドリースコットのプロメテウス、コヴェナント、レイズドバイウルブスの流れは、もはや人類をこえてアンドロイドは創造主たりえるのかという境地にいたっており、人類はものすごいスピードで何かを創り出し、何かを失っているのだと感じずにはいられない。

後日、ミラーが怪物版のものを見る。
無垢な存在が、愛に飢えていく様子が垣間見えて素晴らしい。
女を巻き込むな、と言うのを見かけたが、じゃあ醜いと言われる怪物に対して無償の愛を誰が注げるのか、という問題が出てくる。差別は良くないとわかっていても自分は愛せる自信がない。またもし自分が子どもを産んで、愛せなかったら?凶悪犯罪を犯したら?それでも愛せるのか?みたいな答えのない考えが頭をよぎる。
あと、ギリシア神話のイーピゲネイアを思い出した。プロメテウスなんだけど。

古典だからと言って切り捨てるのではなく、この作品を発露として思考を繰り返していかなきゃならんのではないかと思った。

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