【短編小説】憂鬱のハック、夕方のラック

 電車のホームから見えるビルの切れ端、切れ端と言って良いのかわからないけれど、ビル群を見るのが好きだ。駅前のビルはなんだか化粧をしているみたいで、ビジネスマンや観光客が電車からホームに降り立つ瞬間の「よそいき」の街の姿を、「ここはこういう街ですよ」と言っているようだ。

 あんな建物あったっけ。
 こんな人、いたっけ。

 ぼんやりとスマホを眺める。
同年代の可愛い女の子が手をひらひらさせている動画。肉のうえにのったウニ。絶対別に食べたほうが美味しいのに。そんなことはないのにあるある。
髭を生やした男性が、人生相談に乗っている。あなたはこうですよねときめつけ、相談者は感動して涙を流し、変わりたいですと絶叫する。スワイプ。目尻を下げて微笑む女性が、これまた人々の人生相談にのっている。あなたはあなたのままでいいのよ、といいながら、女帝のカードをこちらに向ける。皆なにかに安心したい。これでいいと言われたい。この方向に進みなさいと言われたい。

 そして皆何かに怒っている。
Z世代は、Z世代はこう思っている。Z世代との付き合い方。Z世代を代表するアイドル、コラムニスト。言語化。ガクチカ。Y2K。その言葉どれもがダサく感じるし、他人の感情に振り回されている気がする。多様性なんていってる社会なのに自分はそこに組み込まれていない。いとこのお姉さんも、文句を言いながらずっと婚活している。レールから外れないように。文句があるなら別にしなければいいのにな、と思うけれど、嫌われたくないから言わない。

 自分は透明人間のように感じる。
他人の言語化に、乗っ取られないようにすると、私、わたくし、と言う人間が透化されていく。〇〇さんの言うとおりです。言語化がすごい。素晴らしい解像度。“私はこういう人間ですよ”という表明。表明のためのファッション、思考、カルチャー。新卒で入った会社を1年で辞める旨を伝え時の「ここで無理ならどこもやってけないよ」と言った、メガネの黒い長髪の女上司。

 自分の思考が、他人の思考に侵食されていく。
 賢く、スマートに。あるいは、可愛く、愛想良く。
 そのどれもができない人間は、いないことにされる。ネットも。リアルも。

 SNSのアカウントを一つ消す。私はいないことになる。すっきりする。
 さようなら、友達ごっこをする人たち。
 さようなら、空虚な言葉を使う人たち。
 さようなら、この中途半端な街。夕焼けが、なんだかよくわからないけれどもおそらく有名な建築家がデザインした、歪な形をしたビルを照らす。一    歩道を入れば、何にも阻まれない、丸い夕日が見られるのに。

 私はこの街が、世界で一番嫌いだった。

 スーツケースを担ぎ、電車に乗り込む。
2人席のシートの、空席をなんとか探し出す。
女性が先に座っている。小さな声ですみませんと言いながら、隣に座る。女性はどうぞというふうなジェスチャーをする。右のサイドは刈り上げ、左に軽くウェーブがかかった髪。年齢を感じさせる首筋だが、無理して若造りをしている印象は受けない。凛とした女性だった。

 私は席に着くなりまたスマホを触ってしまった。もう癖だ。
音楽を聴こうとアプリを開く。再生をタップすると、音が聞こえない。
音量を上げると、どうやらワイヤレスイヤホンに接続されておらず、大音量でギターの音が流れてしまう。

 もう嫌だ。恥ずかしい。
こんなことくらいで、耳まで真っ赤になってしまう。慌てて消音にする。
「あの、すみません」
「は、はい」
唐突に隣の女性から声をかけられる。すみません、とこちらも言いかけたところで、
「その曲いいですよね。私も好きなんです」と、丁寧な口調で女性は続けた。私は彼女の続きの言葉を待った。しかし彼女は特に続けることなく、持っていた本に視線を落とす。
 
 彼女とこの曲に、なんらかの思い出があるのかもしれない。彼女このアーティストの熱狂的なファンかもしれないし、あるいは家族がファンなのかもしれないし、3月のこの時期にずっと聞いていた曲の可能性もある。想像の翼は広げられるが正解のない思案の旅に出る。
 電車はぐんぐんと進み、いつの間にか駅に着く。私が降りる駅までもう2駅ほどあったが女性が先に立つ。

 彼女はすみません、と言いながら前を横切る時にこちらのスーツケース気付き
 「幸運がありますように」と笑顔を向けながら颯爽と降り立っていった。
 
 私にはその言葉だけで良かった。今まで起きたこの街の思い出は、全部ここに置いていこう。新たな幸運を探しにいこう。そう思えた。頑張れも、ファイトでもない、魔法の言葉。何気なく、彼女が去った席に座る。まだ消えぬ温もりと、イヤホンから流れる音楽に包まれて、きっと大丈夫だと思った。
 

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