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大好きなおばあちゃんを偲ぶ。

わたしにとって、最後のおばあちゃんが亡くなった。2022年に入ってからすぐのことだった。お年玉を忘れてごめんね、と自分の体調もよくない中、本当ならもう落とさなくていいお年玉を心配していたのが最後になった。

小さいころの記憶が泡みたいにぷくぷくと膨らんできて目を瞑ればおばあちゃんの声はもちろん、おじいちゃんの声まで聞こえてきて、とても懐かしくて、そして胸が苦しくなる。

昨日まで普通に話していたひとが次の日には話すことができなくなり、その次の日にはもう2度と会うことはできなくなってしまった。

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大切なひとを失い、もっと想いたいのに、毎日忙しく、ふとした瞬間に鼻を啜ることしかできない自分に嫌気を感じながらも、幼い頃には気づかなかったまわりのひとの愛情に大人になって気づいて、自分が自分で生まれてきてよかったと思うのでした。

あのとき、大好きと言いたかった。でも言えていなかった。言わなくても分かりあっていたと思うけれど、言えたのなら言いたかった。そんなこんな考えていたら込み上げてくるものがあるし、あれ、大好きだったんだよなあと突然目の前が…海になる。

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いつも応援してくれた、パソコンやゲームを永遠にやりつづけても逆に感心してくれた、気まぐれに挑むボードゲームに付き合ってくれた、おばあちゃんとおじいちゃん、ありがとう。

いままでは、どこか遠いところに住んでいるんだ。と懐かしい日々がそのままカプセルに保存されているようだった。それは失われずに永遠にそこにあるような気がしていた。でも、祖父母が皆旅立っていって、遊びに行っていた家は空っぽ。もう消して戻らない想い出なんだということを実感。

それと同時に、わたしにできることをゆっくりでも、不器用にわたしらしくやっていこう、自分の決断を信じて進もう、そう改めて思う機会になる。自身をころすことは大切なひとを二度失うことになる気がしたから。

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…実は昨年秋にも母方のおばあちゃんがなくなり、寂しいきもちと仕事の忙しさでnote含むSNSはだいぶ止まってましたが久しぶりの更新です。ただただ日記になってしまいました。2022年もどうぞよろしくお願いします。

アオイミヅキ

皆さまのおかげでがんばれています。いつもありがとうございます!