わたしの現在の仕事と経歴。大学に落ちて結果よかった。

最終学歴は服飾専門学校です。

現在はオリジナルのブランドを製作販売しています。


高校は普通の共学で、
女子はほぼ短大へ進学。

私は社会福祉学科のある大学を2校受験して落ちています。
当時はまだ福祉に力が入っていない時代だったのか、3校ほどしかなかったと記憶しています。
そのため倍率も高かったです。
とは言え勉強不足でしたので落ちて当然の結果でした。

今となれば学部も増えていますし需要もありますね。
先読みしすぎたのかもしれません☺️

なぜ最終学歴服飾専門学校の私が社会福祉に関心を持ったのか。
主に児童福祉に関心がありました。

私は8歳の頃からファッションデザイナーになるのが夢でしたが、
アパレルで働いていた母は猛反対でしたので、母が納得をしてくれそうな第二希望の福祉の道を選んだのです。

高校3年の時に制服で市の社会福祉協議会へ行き、
アポなしで「ボランティアをさせて欲しい」と相談へ行った事を覚えています。

1年ほど重度障がい者の施設で、
イベントの開催や遠足の同行に参加しました。
そこで働いている方に心を動かされ、
「社会福祉もいいな」と感じて進路を目指す事になります。

振り返って気がつきましたが...
私の行動力はこの頃からあったのですね。

そういった経緯があり、1浪しようと決めました。
予備校生活が始まり、
私は毎日とりあえず勉強をするのですが...
考え事をする時間が増えてしまいました。

そんな時に...
夜間の服飾専門学校に、
自力で通っている友達の話を入手したのです。

行動派の私は、早速その専門学校のパンフレットをもらいに行き情報収集します。
(当時はインターネットがそこまで普及していませんでした。)

そして親に、
「バイトしながら自力で通うから行かせて欲しい」と、懇願します。
高い予備校代の事は今でもネタにされますが、
私は遠回りしたものの自分の進路を決める事ができたのです。

話は長くなりましたが...
3年間バイトしながら通学した服飾専門学校の夜間学科で、
今の仕事のベースを培う事ができました。

ただ福祉に関しては不思議なものです。
子供が重度の自閉症で、誰よりもそばで関わる事ができています。

結果的に私はファッションデザイナーと、
児童福祉に関わることの多い子育てをしているので、
高校生の私にある意味夢や目標は間違えてなかったと教えてあげたいです。

卒業後は1年間会社のデザイナーを経験、
約4年弱は念願の企業に転職し、
その後フリーランスになり現在に至ります。

転職先は、私が一番働きたかった上場企業でした。
この時も1年しか実務経験のない私(しかも無名会社)は行動力を発揮しています。

もちろん周りからは1年しか働いていないのに、
無謀過ぎて呆れ果てられ怒られる始末。
結果、何十人もの中から奇跡的に1人採用されたのでした。
これには大反対だった親も大変喜びました。
母の好きな企業でしたので。

ただ、入社してからは大変すぎて胃痛の日々。
前の会社とシステムも人もレベルが違いすぎる。

同時期入社の新卒の子たちは一流大学出身でスピーチも上手く、T大出身もいました。
あまりの出来の良さに大学に行くとこんなに立派な人格形成ができるんだ!と、
引目を感じながらも真面目に頑張るしかありませんでした。

4年弱そこで耐え鍛え、私は会社の看板を履歴書がわりにフリーランスになります。
大学へは行けなかったのですが、
専門学校で本当によかったと思えます。
大学へ行く以上の経験と信頼を実務で習得できたからです。

今の時代、これからは更に色々な選択肢があるでしょう。
極論、小学校までは学校へ行き生活習慣を身につけておいた方が現段階では良いと思いますが、
中学生からはフリーでも良いと思います。
恐らく私の見るかぎり、中学は昔とさほど変わっていないからです。

これからの未来はいろんな選択肢が若い世代にありそうな気がしてなりません。
そう考えると、我が子の未来も開けてくると希望を持てるようになりました。

情報収集と行動力は人並みにあるので、
何歳になっても新しいことにチャレンジしながら前進したいと考えています。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?