ひこうきのおなか

慣れた道をてくてく、フワフワ歩くのです。

用事を終わらせた帰り道、太陽はすっかり傾いていて、オレンジの色が増していっています。うっすらと民家の壁がオレンジ色を反射するのです。窓も反射していて眩しさに目を細めてしまいます。

けれど、嫌いじゃないのです。

このオレンジ色に包まれる時間は、どこか心落ち着くようで東京へ来てから思うことを、また思い出すのです。

郷里の夕焼けはこんなに綺麗じゃなかった。どこか色味が曖昧で、曖昧なまま山の向こうに消えていくのです。当時から夕焼けは好きだったけれども、その色の薄さとぼんやりした感じが心に響かなくて、どうしてだろう? と思っていました。

そして東京の夕焼け。色がはっきりしています。どこにも曖昧さが無くて、こんなにクリアな夕焼けを青鳥(あおどり)は初めて見ました。

オレンジの強さに晴れた日は毎回驚くのです。自分が今まで見ていた夕焼けは、夕焼けだったのかな?

自分の中では夕焼けはもっと儚い色味のもので、強烈な強さは無いのです。ゆっくりとしたグラデーションの色と時間を楽しむのが郷里の夕焼けでした。けれど、ここでは違います。どこまでもはっきりと曖昧さのないオレンジの色が、時間ごとに強く、濃く、深い黒を連れてくるのです。

力強いって、このことかあ。なんて思いながら橋の上、なのです。

轟音が響いて飛行機が飛んでいきます。一機、二機、三機。一つは遥か上空にあって小さく、二つ目はそれより低く真っ直ぐに飛び、三つ目は飛び立ったばかりなのか、かなり低空に機体を泳がせていました。全て旅客機です。

乗客の皆さんも、東京のオレンジを楽しんでいるのかな?

三機目の飛行機が、低空のまま旋回しています。進路を変える為に大きなカーブを描いて橋の上を超えて行くのです。

機体のお腹まで綺麗なオレンジ。太陽はどこまでも平等だな、なんて思ったり。

三機の機体が、うっらとオレンジがかっている綺麗な青空を泳いでいきます。それぞれの機体もオレンジ、なのです。普通は「鳥」に見えるはずですが、地上からはゆったりとした動きにしか見えないのです。特に三機目なんかは大きなジンベイザメのお腹です。

そんなおさかなさんたちの様子を青鳥は一番下の地上から見上げるのです。

橋の上の青鳥も、きっとおさかなさんになるのです。「鳥」だけど「魚」なのです。いつかまた、あのおさかなさんに乗って、どこかへいくのです。

ちょっぴりお店によって買い出しの後、外はすっかり暗くなって、微かなオレンジ色が漸く感じられる時間。

人気も車もいない住宅街の狭い道で、12、3歳ぐらいの少年が、ひとりスケートボードに乗っていました。一定の範囲を行ったり来たり。きっとお家がこの辺なのでしょう。少年の周りには誰もいません。この子の家庭の事情も友人関係もわかりません。ですが、この少年は同年代の誰よりも先に「大人」といわれるものを身に着けてしまうのかも、なんて思ってしまいました。もしかしたら、今も友人、といわれる同級生たちと微妙に会話が合わないのかもな、なんて。

それでも会話は合わせられるし、しなくていい気遣いや、空気を読んでしまうのかも。そんな風に見えました。

少年が大きくなって、空のおさかなさんに乗って、どこにいくんだろうなあ。楽しい旅を続けて欲しいなあ、と、おさかなさんに乗ってやって来た青鳥は思うのです。


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