ホラーで感じた愛情の形

※映画「犬鳴村」ネタバレ注意!!


 2月7日に公開されたホラー映画「犬鳴村」。実在の心霊スポットと都市伝説を映画化したこの作品は、「呪怨」を手掛けた清水崇監督が制作している。

 私は単純にホラー映画が好きだった。有名な都市伝説を映画化するという前情報もあって、そして日本ホラーの巨匠が制作しているとあって、それなりに期待して映画館へと足を運んだ。分かり切っていることだと思うが、私は恐怖体験ができることへの期待を抱いて、単純にも映画館に赴いただけである。

 結果、泣いた。

 怖くて泣いたのではなく、ひたすら悲しくて泣いた。悲劇の押し売りにも程があるだろうという理不尽さに、後半はポップコーンを食べることも忘れて、ボロボロ泣いていた。

 そして同時に感動した
 恐怖の演出で隠れがちだけれど、人が人を愛する気持ちが散りばめられていることに。恋人同士の愛情に、家族としての愛情、親が子供を愛する気持ちなど、様々な愛情の形が哀しい死と共に散りばめられている。

 親が子を想う愛情とは、何なのだろうか。
 きっと正解などあるはずもないその問いに、この映画は二つの解答を提示しているように思う。

 犬鳴村の人々は山犬を狩猟することで生活をしており、その特質から「犬殺し」として外界からは疎んじられ、また彼らも外界を遠ざけた。そこにやってきた電力会社からの派遣団は、最初は友好的に交流を深めていくが、ダム建設のために村人の排除にかかる。その「排除」を行った中心人物こそ、主人公・楓の父方の祖父であった。楓の母は犬鳴村の村人の血を引いており、楓はまさに被害者と加害者の間に生まれた何とも複雑な子供だったのである。
 映画の後半、楓が赤ん坊を抱いて兄・弟と犬鳴村から逃げるシーンがある。それを追うのは、赤ん坊の母親である麻耶という女性だった。彼女は村の外からやって来た人々によって暴行され、犬と共に監禁されたあげく、「犬と交わっている」と吹聴された、被害者そのものである。
 どうしても我が子を取り戻したい麻耶を止めるのは、楓に赤ん坊を託した青年・健司だった。彼は正真正銘、麻耶の恋人であり赤ん坊の父親である。
 

 麻耶は叫ぶ。
「返して、私の赤ちゃん」

 健司は叫ぶ。
「俺たちの子を頼む」


 親が子供を想う愛情とは、何だろうか。
 一緒にいれば必ず死ぬことになると分かっていても、一緒にいたいと願う麻耶の気持ち。
 自分たちが死ぬことになっても、生きていてほしいと願う健司の気持ち。
 正解も間違いもない、親としての率直な愛情の発露による結果が、この二人の正反対な行動なのではないか。
 親として子を守ることも、狂気に走ってしまうことも、どちらも誰もが辿り得る可能性のあるものなのだろう。
 
 楓は迷った末に、赤ん坊を抱いて犬鳴村から逃げた。ダムに沈みゆく村を背に、村人を背に、逃げた。結果的に、楓は助かった。
 しかしその影にある麻耶と健司の結末を思うと、涙を禁じ得ない。最近は両親と関わることが多くあったので、尚更かもしれない。
 映画を鑑賞し、数日経った今も、麻耶と健司の叫びが私の耳から離れない。


「返して、私の赤ちゃん」

「俺たちの子を頼む」


 私にとってはホラーという括りに入れることを戸惑われると同時に、愛情の形について考えさせられる、哀しいお話であった。

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