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わたしが宇宙人を受け入れることができたわけ

以前の投稿で
夫を宇宙人かもしれないと思ってみたはなしを綴った。

まわりのひとたちから
予想以上の大反響と祝福のことばをもらい
正直、苦節10年への苦笑いと、
ずっとずっと支えてきてくれたみんなへの愛と思い、
感動が溢れた。

さて。
どうして
どうやって
わたしが”宇宙人”を受け入れることができたのか。

それは、
宇宙人側には、なんの動きも変化もきっかけも、原因もない。

すべては、
わたしの中で起こったことだった。

本当に、本当に、本当に、
この10年苦しかった。
世界の、地球の、この宇宙の幸せをこころの底から、
本気で願い、祈る日々なのに、
目の前にいる夫のことだけが、受け入れられなかった。
つまり、
今ここの、わたし自身が満たされていなかった。
受け入れられなかった。


それがなぜ、
このタイミングで
不思議なほどに
受け入れることができたのか。

どうして、
これまで頭で納得していても何も変わらなかったことが、
すとんと、腑に落ちたのか。

それは。
たぶん。
意識の領域・設定なのだと思われる。

ひとつに。
・最悪期(暗黒期)にはもう絶対に戻らない!!!
(満たされない何かを埋めるために、週7日、家事と育児と本業以外に仕事をして、週に2日は睡眠時間ゼロだった…)

もうひとつ。
・夫は本当に、宇宙人なのかも。
宇宙人のようだ、ではなくて、
宇宙人の魂を持っている人なのだ。
今世はきっと、ただただ地球生活を体験しにきていて、
この家族と一緒に暮らして、
それだけでとても満足していて、
幸せなんだ。
それ以上でもそれ以下でもない。

というようなことを、
わたしが本心から意識した。
そして、内なるわたしが、
それを聴く耳、受け入れる心を持ってくれたのだと思う。
だから納得できた。

(これは、ぶらんこの影響も少しずつあるのではないかな、と思っている)

(アクセスバーズの影響もあるのではないかな、とも思う)
(今のわたしを支えてくれている存在の、目に見えない働きも大いにあるのだと思う←これはきっとずっとずっとそうであったのだと思う)


「腑」に落ちるは、
「腹」に落ちる意味で、
「腹」には、無意識のかたまりの自分がいる。
何かが、書き換えられた、のだと思う。
自分で作り上げた無意味な思い込みや現実を手放して、
まっさらに、
すとんと、
受け入れる場所ができたのかもしれない。

だから、そうなった、ということなのだと思う。

もう絶対に戻りたくない暗黒期にしても、
その当時のわたしは必死すぎて
自分が本当に求めているものさえ見えなくなっていたけれど、
その時のわたしが
「わたしは娘を守るために必死に生きるんだ!!」と意識していたことは確かで、
だから「必死に生きる」現実が起きていた。
必死すぎた。

ひとつひとつの現実はとってもシンプルだけど
ものごとは、絶妙に関わり合って、
すべてが完璧なまでに成り立っているから、
1+1=2 のような連続ではないように思う。

そうしたら、
ネイティブアメリカンの古の教えを基にした学び
「The Great Hoop of Life」(大いなる生命の輪)の歩みを思い出した。

(つづく)


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