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新しく生き直していきたい


 5月26日(日)、職場で働く最後の日だった。産前休暇に入るからだけれど、復帰は別のところでする予定なので、退職しないけど退職するような、正真正銘の最後の勤務日だったにもかかわらず、あまりにも普通に、平和な日だった。
とはいえ、その日が最終日だと知っていた方とか、元職の教え子がわざわざ手紙を持ってきてくれたり、常連の利用者の方々から温かい言葉をもらったりした。勤務時間が終わったら、職場の方々からもプレゼントやら手紙やら、パーティかよってくらいの楽しくて明るい贈り物をたくさんもらい、笑顔で送り出してもらえたのだけれど、かけてくれる言葉には別れの言葉も含まれてもいて、だけどみんな笑顔でいて、最後だけど最後じゃないのよね、というのが私もみんなもいい意味で透けていて、すごく温かい気持ちで出てゆけたのだった。

 元々、子どもの頃から人や場所に未練を感じて寂しくなったりするタイプではなかった。常に先のことに期待をする方で、変化することで始まる何かに気が行くので、今の居場所に執着を抱きすぎる方ではなかった。
 確かにここは離れるし、その場で関わっていた人々とも顔を合わす機会も少なくなるか、完全になくなったりするけれども、なんだか、「それでもみんな、生きて行くだろう、それぞれのままに」と言う気持ちがあり、私自身もまたそうであり、根底には「大丈夫でしょう、みんな」みたいな、謎の安心感というか、信頼というか、私も頑張るからみんなも頑張って、のような、私との別れが大きなものであって欲しくないような、そういうふうに思う人間だから、こういった節目の時にもらう言葉にはいつもなんだかもったいなく感じてしまうのだった。ありがたいことに違いはないのだけれど。
 それに、「また会える気がしている、だからみんなも大丈夫な気がしている」という直感めいた感覚は、決して適当な気持ちで浮かんでくるものではなく、そう本当に願っていることだ。
だって本当に、会いたいと思えば会えるし。みんなのこともこれまで通り元気で大丈夫であって欲しいからそう願っている。だってみんなには、私がいなくても日々が続いていく。私も同じく。
それに、自分で選んだ変化に寂しさや未練を抱くのもまた、違うなと思うから。
何はともあれ、新しい生活になることに後ろ向きな感情はいらないのだった。
 ただただ、感謝の気持ちでいっぱいで、経験したこと、物でも心でも、もらったものを恩返しするか活かすかなど、大事にしていきたいなと思う。本当に良い職場だったなあ。楽しかった。

 そしてそれが日曜日で、今が火曜日で、なんだか、いつも通りだ。
月曜日から休暇が始まったけれども、シフトの都合で月曜日が休みの日だって時々あったわけで、そして火曜日は固定休だから、やったー二連休だ〜って、そしたら朝は5時に起きる必要もないし、夫と同じ時間に起きることができるので、ラッキー、と思った。この「ラッキー」だって、仕事の日と休みの日があるから思えることだから、まだやっぱり、仕事に行かなくても良いという実感がない。
1週間くらい経てば、本当に今休暇に入っているんだなって、思えるかもしれないけれど。

 これから先、どんな生活になるのだろうね。どんな生活スタイルになって、どういう考え方が生まれて、何を選んだり、捨てたり、替えたりするのだろうね。どんな人と関わるだろうね。生まれてくる子どもに、どんな気持ちを抱くだろうね。全てが未知で、全てが新しくて、今のこの一瞬も新しい日々を生きていて、猫たちとの触れ合う時間も増え、この家で過ごす時間も増え、季節や、時間の流れが、変わっていくのだから、やっぱりなるべく、楽しかったり、嬉しかったり、心地の良いものが多い日々でありたいものだ。言葉を紡ぐこと、本を読むこと、創作することに、今まで以上に寄り添うというか、こう、肌に近づけていたいというか。夫との時間も増えるし、何に対しても近づけるようにしたい。
深く深く、息を吸って、そして、長く長く吐けるような。わざとらしいくらい大袈裟でもいいから、何度だって穏やかに深呼吸ができるように。
 新しい日々の中で、今までの私のことも抱きしめながら、また生き直していきたい。

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