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田舎のお菓子から300年前の日本の歴史にたどり着いた話

日常のなかで、ちょっとした楽しみを見つけたいですよね。
「食」は、とても手軽に楽しみを見つけられる方法です。

デパ地下に入れ替わり立ち替わり「新しいお店」が登場するのも、
そのあたりかなと思います。

新商品も楽しいですが、好きな種類の食べ物を「深掘り」するのも楽しいです。
今日は「もち」の話です。


「もち」のようなもの


娘が「もち」のような触感の食べ物が好きなので、
みつけてはいろいろ試してきました。

「もちのようなもの」
草餅、柏餅、桜餅、大福、だんご、おはぎ、水まんじゅう、麩まんじゅう、くずもち、求肥、わらびもち、すあま、ようかん

地方にもいろいろあります。
ういろう、生八つ橋、ゆべし、かるかん

日本の食文化バラエティに富んでいますよね!

どこまでが「もちのようなもの」なのー?と、突っ込みたくなりましたか?

ようかんはあんまり、、求肥は好き、とか。
それぞれ「どんな触感」か、頭(口?)に浮かびましたよね?
頭のなかは「もちワールド」になります(笑)

どら焼きの皮がもちに近いものもあります。これ好き!

いつもデパ地下で買っていたのですが、
先日ランで「和菓子屋さん」に立ち寄ったら、なんとそこが「本店」でした!

昔からある、町の和菓子屋さんなんですね。

お菓子以外の「もちのようなもの」
ニョッキや、北海道のじゃがもちなども好きです。


青森の「くじら餅」


私の出身の青森にも、ちょっと変わった「もちのようなもの」があります。

母がよく作ってくれた「笹餅(ささもち)

昔から売られている「くじら餅(鯨餅・久滋良餅)」

https://aomori-miryoku.com/2010/11/15/%E9%B0%BA%E3%83%B6%E6%B2%A2-%E9%AF%A8%E9%A4%85%EF%BC%88%E3%81%8F%E3%81%98%E3%82%89%E3%82%82%E3%81%A1%EF%BC%89/

味は、、なんて言えばいいんでしょうね(笑)
とても素朴です。
材料はうるち米、もち粉、小豆、砂糖のようです。
食感は、餅とようかんのちょうど中間くらい。

調べていたら、なんと!
「山形の郷土料理」として紹介されていました。びっくり!

色はだいぶ違います。

そうしたら、くじら餅の発祥は何と「京」だそうです。

江戸時代京のお菓子のレシピを記した書物に「鯨餅」が紹介されており、名前の由来は、白と黒の二層の断面が鯨の皮に似ていることから。この「鯨餅」も北前船によって持ち込まれた食文化のひとつで、発祥の京都では作られなくなったものの、(青森県)鯵ヶ沢町以外でも、山形の新庄市など各地域の郷土菓子として愛されています。

なんと、300年も前に伝わったことが始まりだったんですね!
江戸時代に「北前船(きたまえぶね)」で運ばれたことが始まりのようです。

ちなみに、北前船とは

江戸時代の中ごろから明治30年代にかけて、大量の荷物を積んで日本海を往来していた多くの。「北前船」の定義の共通項は以下。
大阪と北海道日本海周りで往復していた
②寄港地で積荷を売り、新たな仕入れもした
帆船

https://www.kitamae-bune.com/about/main/

日本の歴史にたどり着きました!

お菓子ひとつにも歴史あり。

デパ地下で新しい商品が出る一方で、
昔からある、このような商品が消えていっているんでしょうね。

今はおいしいものがありすぎて、
昔からの素朴なお菓子は、振り向かれなくなりますよね。

小さなころに食べた「味の記憶」があれば、人は手に取るけれど、
そうでなければ手に取ることはなくなります

「作る」人の代替わりも問題ですが、
「買う」方も代替わりします。
私の娘は、自分では買わないだろうな。

変化の激しい時代に、食文化もどうなっていくのでしょうね。
考えさせられました。

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