【ホラー小説】 忌み地 結花子63 【心霊】
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【ホラー小説】 忌み地 結花子63 【心霊】

あおさとる


 救急処置室に運ばれた夫がどうなったのかわからないが、結花子は外来センターの待合室の椅子に座って呆然としていた。夫が死んだかどうかで茫然自失しているのではなかった。人形を燃やしたことで本当に呪詛が解けたのか、とずっと自分に問いかけていた。そうでなくては困る。まだ一抹の不安があったのだ。

 椅子に座ったまま呆けていると、名前を呼びかけられて我に返った。

「井野さん」
 顔を上げると、そこに壱央が立っていた。
「壱央さん」
「人形、燃やしたんですね」
 壱央が結花子の左隣の椅子に座った。
「ええ」

 壱央の言うとおり、人形を燃やした。警察には夫が燃やしたと伝えた。あのとき結花子は夫と二人きりだった。警察は自殺と判断したけれど、真相は闇に葬られた。残ったのは焼けた人形から人骨が見つかったことだけ。

「結局、呪詛は何だったんですか」
「一族の繁栄のためにかけた呪詛。もう一つは呪詛とは言えないかもしれないです。でも結果的に呪詛になった何か、です」

 壱央は結花子が最後に見た幻覚のことを知らない。このまま黙っていてもいい。死んだ孕み女の白濁した瞳が、今も結花子に語りかけてくる。それは恨みの言葉であって、結花子までもが巻き込まれた呪詛だ。もう一つの呪詛がどうやって作られてしまったか、結花子は悟った。それでもあえて聞く。

「これで終わったのよね?」
「呪詛が二つとも解除されていたら」
「解除されてないと困る……」
 結花子が低い声で呟いた。

 結花子たち以外誰もいない待合室の温度が下がった気がした。電灯が少しだけチカチカと明滅している。

「井野さん」
 緊張を孕んだ声音で壱央が結花子に座っているように合図した。
「来る……」

 その間も電灯がチカチカと音を立てながら明滅する。暗い廊下の先から、何かがやってくる気配がした。電灯が奥から順番に消えていく。とうとう、明滅する電灯が結花子たちのいる場所だけになった。

 冷気が風もないのに結花子の頬をかすめていく。

 壱央が数珠を右手に持ち、身構える。はぁっと吐く息が白い。

 廊下の先、暗闇の中から、水の滴る音がし始めた。

 べちゃ、べちゃと、濡れた足が床を踏みしめる音が聞こえてきた。かすかな音のはずなのに、すぐ耳元で聞こえてくるように感じる。

「壱央さん……」
 不安になった結花子は壱央の後ろに身を縮こまらせた。

 暗闇の向こうに裸の女が恨めしげに立っている。乱れた長い黒髪に土気色の肌、大きな腹は二つに裂けている。その腹からボタボタと血が床に垂れ落ちる。女の顔ははっきり見えないが、眼窩が落ちくぼみ、口は深い洞穴のように開いている。だらんとした両腕には赤ん坊は抱かれていない。

 夢とは違う。結花子は女の姿を見て思った。夢に見た女は無害だったが、目の前にいる女は決して安全な幻ではない。

 女は一歩一歩結花子たちに近づいて来る。

 女の背後に暗闇に沈む葦の群生が見える。この女は谷地と名付けられた湿原からやってきたのだ。黒いもやが女の周りに湧き上がる。少しずつ女が近づいてきている。このまま眼前に女が立ったらどうなるのだろう。結花子はぎゅっと壱央のシャツの裾を握りしめた。

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あおさとる
物書き。 主にホラー。 https://aosatoru.booth.pm 同人誌はこちら。