【ホラー小説】 忌み地 壱央7 【心霊】 【最終回】
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【ホラー小説】 忌み地 壱央7 【心霊】 【最終回】

あおさとる


 玄関の靴置き場に水たまりが出来ていた。見てみれば、部屋へ続く廊下も水で汚れている。先ほど風呂から上がったときに、体を拭き損なっていて水が垂れたのかと思った。

 雑巾はないが、さっき使ったバスタオルで拭って、タオルは捨ててしまえばいいと考えた。部屋に上がり、バスルームの扉にあるタオル掛けからバスタオルを取ると、床の水を拭いた。拭いてから、壱央は気付いた。水を拭ったバスタオルが臭い。さきほど感じた異臭と同じものだ。もしかしたら上の部屋から漏水しているのだろうか。天井を見上げたが、そんな形跡は一つもない。

 タオルを手に部屋に続くドアを開いた。付けたままだったはずの電気が消えていた。一歩踏み込んで足裏に感じる違和感に、思わず足を引っ込めた。部屋が浸水している。電灯のスイッチをオンオフしたが電気が付かない。ブレーカーが落ちたのだろうかと、玄関を振り向いた。

 目の前に広がる風景に、壱央は愕然とした。先ほどまであった鉄扉がなくなって、辺りはもやがかった開けた場所に変わっていた。

 背後から、かすかに水を踏む音が聞こえてくる。ぬかるみに足を踏み入れ、抜く音が響いてくる。気がつけば、もやから垣間見えるのは葦だった。葦原にたたずむ壱央の背後から近づいてくるものがいる。足音は次第に大きくなり、確実に迫ってきていた。

 振り返ることも出来ず、脂汗が額を垂れていく。息を殺して、どうすべきかを考えた。

 ここは埋め立てられる前の谷地の湿原だ。忌み地とされて人から敬遠された土地だ。

 疫病で死んだ人間が放り込まれて、累々の屍が放置された。壱央が知っているのはそこまでだった。

 これが結花子の見ていた夢なのだろうか。淀んだ水と腐敗した肉片の悪臭が入り交じる湿原に、得体の知れないものと一緒にたたずんでいる。振り向くことも出来ず、ましてや自分の身を守るための数珠もなく、壱央に出来ることは祖母から教えられた念仏を唱えることだけ。

 唱えながら、なぜ谷地の呪詛がここまできたのか懸命に考えた。一つ目が忌み地にまつわる呪詛であることに間違いはないはずだ。二つ目の呪詛は無効になったはずだ。媒体だった人形は燃えてしまい、呪詛の源だった井戸も埋めた。それでは足りなかったのか。今、自分がこうして谷地の呪詛に出くわしているのは、まさか人形と関わってしまったからか。それとも呪詛がいまだに暴走でもしているのか。二つ目の人形を使った呪詛は、長年積み重ねてきた儀式を明治に入ってやめてしまったことで、繁栄をもたらす代わりに破滅を招いた。井野家が生け贄を捧げているうちは守護していたはずだったが、生け贄が途絶えたことで、呪詛は自家中毒を起こして、生け贄を求めて攻撃し始めたのだ。そのせいで谷地の家に住む人間は次第に狂っていったのだ。

 その間も足音は少しずつ自分に向かってくる。振り向こうにも体が言うことをきかない。とうとう足音は壱央の真後ろまでやってきた。耳元に、生臭く鉄臭い息が吹きかけられる。逃げようがない。足音を立てていた何かが、壱央の胴に腕を回して抱きついてきた。強烈な腐敗臭が鼻をつく。

 胴に回された腕は蕩けて糜爛し、ボタボタと肉片が足下に落ちていく。その腕が強く壱央を抱きしめた。肋骨が折れそうなほど強く絡みついてくる。

 息が苦しくなり、壱央は固まった体を動かそうと悶えた。壱央が見ている前で、強くしがみついていた腕が壱央の体の内側へと沈み込んでいく。背中に感じる、べったりとくっついた何かが、肉も骨も無視して壱央の体の中へ入っていく。

 ゆっくりと時間をかけて、壱央を苦しめながら、その何かは壱央と混じり合った。
 



 一体どのくらい時間が過ぎたのだろうか。気が付くと、部屋は明るく電灯がともり、床に溜まっていた水もなくなっていた。手にバスタオルを持って呆然と立ちすくんでいる。

「あ……」

 壱央は周囲を見回したがあの葦原の幻影はすでになくなっていた。それでも不意に生臭い臭いが鼻をかすめる。着ていたシャツがわずかに汚れていて、それが臭っているのだった。

「そうだ……」

 壱央は何かやり残した重要なことがあるのに気付いた。それをやらねば、宮古島へは戻れない。壱央はスーツケースから荷詰めする際に使ったカッターを取り出した。チキチキと刃を出して確かめた後、刃を戻しポケットへ突っ込んだ。

 結花子に早く会わないといけない。やり残したことを伝えねばならない。結花子はきっと喜んで協力してくれるはずだ。

 そうでないと……。

 壱央は鉄扉を開けて外に出た。夜の闇が壱央の背に落ちる。黒いもやが壱央を包み、目的を果たせと急く。 

 そうでないと、戦利品あかんぼうをこの腕にいだけないじゃないか——。






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あおさとる
物書き。 主にホラー。 https://aosatoru.booth.pm 同人誌はこちら。