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アコーディオンでこぼこ道中4「ようやく本気出す編」

「アコーディオンの音色は人を幸せにする」安西はぢめです。これまでの話し→初めてのアコーディオンを手に入れたものの、その重さにお手上げでなかなか取り組まなかった私。やはり人間は何事も必要に迫られないと正面から向き合わないのかも知れません。やがて私に訪れた「本気で取り組もう!」と思わせた流れ・出来事とは。

前記事「アコーディオンでこぼこ道中3『そんな事とはつゆ知らず』編」

話は私が20代後半だった頃に遡ります。25歳でサラリーマンを辞め「音楽一本で生きて行くぞ!」と決意したものの、辞めたその日から「はい、ミュージシャンです!!」とは行かないのは皆さんもご想像の通り。貯金もすぐに底をつき、色んな仕事をしながら細々と音楽を続けました。随分と幅広い業種をまたにかけました。なかなか得難い経験もさせてもらいましたので、その話もまたいずれ。

【アコーディオンを持ってた事を思い出す】

その頃、持ち込まれたお話しがあり、詳細は割愛しますがお笑いのトリオを結成していた事があります。いわゆる「ボーイズ」という歌と音楽とお笑いが一体になったスタイルです。古くは「あきれたボーイズ」「灘康次とモダンカンカン」「玉川カルテット」、また関西でしたら「横山ホットブラザーズ」「かしまし娘」や「フラワーショー」などが華やかに芸を競っていたのをご覧になった方もあるかと思います。私が二枚目ポジションと楽器担当。軽喜劇出身のリーダーが司会進行とツッコミ。もう一人が「女装美人ボケ」担当と歌(ファルセットで女声に寄せて歌う)というものでした。しかも時代設定が清朝末期から中華民国初期、それぞれの設定も作り込み、日中両国の戦前戦後の流行歌などをショー中に披露するという「レトロコンセプトのインチキ中国人3人組」というとてもマニアックなもので、当時はテレビやお芝居の出演も頂きましたし、「エノケン生誕150年」なんてイベントで浅草東洋館の舞台に立たせてもらった事もありました。無我夢中でたくさん貴重な経験もさせてもらいましたけれど、今ならコンプライアンスに引っ掛かって炎上案件かもしれません(そうは言っても、当時は中国のテレビ局の取材を受けたり、春節の番組にも出た事があります。中国大使館文化部のお招きで大使館内でお夕飯を頂いた事さえあります。いわば中国政府のお墨付きw

【当初は主に二胡・揚琴・笙などで伴奏していました。揚琴は今でも機会あれば喜んで弾きたい大好きな楽器です。写真は野毛の一千代「うな丼ライブ」より】

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ただし私は素人に毛が生え掛けの駆け出しで、演奏も喋りも立ち方一つでも中途半端でしたから今でも「ジェームス三木ディナーショー」に出させて頂いた時に、客席にいた津川雅彦さんがマイクを渡されてスピーチする時に「何だか真面目に観れば良いんだか、笑って良いんだか分かんないのが出て来ましたね」と言われたことを良く覚えています。その日は黒柳徹子さんが(時間を大幅にハミ出して)ユニセフのお話しをたっっっっぷりお聞かせくださったり、往年の大歌手トミ藤山さんが迫力いっぱいの歌声を聞かせてくれたりと、見どころ満載でした。トリを飾ったのは原信夫とシャープス・アンド・フラッツの生演奏に乗せた、ささきいさおさんが歌う大迫力の「宇宙戦艦ヤマト」が大変に受けておりました。我々はシャープス&フラッツの休憩時間が担当でしたから、逆に彼らの出番を堪能させて頂けて本当に良いものを見せて頂きました。さて、話を元に戻します。

【アコーディオンは理想の楽器】

そのトリオは時代錯誤なインチキ中国人3人組と言う設定で(全員普通に中国語が話せる奇跡的な取り合わせでした)、芝居仕立ての中に戦前戦後・日中の流行歌を織り込んで進めると言うのが基本パターンでした。私は二胡・揚琴・笙や琵琶を持ち替えてSEからBGM、そして歌物の伴奏も生演奏で行っていたので、毎回大荷物でしたし民族楽器では音量が小さかったり、転調するのに不便だったりデメリットが目立って来ました。そこで何かないかと考えたら、部屋の片隅でケースに入れたままのアコーディオンを思い出しました。「持ち運びができて、音量が豊か、様々なジャンルの音楽が弾けるし、時代考証にも合っている」アコーディオンはまさに求めていた条件全てを満たす理想の楽器ではないですか!この日以来アコーディオンを真面目に稽古していこうとなった訳です。まさにこの気付き、決断が今に繋がるので人生面白いものです。残念ながらこのトリオは、私がアコーディオンを上手く弾けるようになる前に活動を終了してしまいました。今でもその時のメンバーはそれぞれに活動を続けているようなので、それを耳にするにつけ素晴らしいことだなと思い心の中で感謝して応援しています。

【足元右端にチラッとアコーディオンが写っているのがお分かりでしょうか?やがて中国の楽器とアコーディオンを併用してショーを行うようになったのでした】

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私の懐メロのレパートリーの多くは、この頃に色々とお勉強させて頂いた物です。もう20年以上も昔のことなのに鮮明に覚えているので、やはり若い頃には未来の自分の為に、少しでも欲張ってお勉強しておくものだなぁと思います(「今日の自分が未来の自分を作る」と自戒を込めて)

【アコーディオンジャーナル2003年冬号の表紙。記事を読むと「中華街の会場で西遊記をやった」とありました。この翌年にボタン式へ転向してヨーロッパのアコーディオン音楽に傾倒して行きます。先の事は分からないものです】

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さて、いよいよ楽器を買うだけで挫折していた私がアコーディオン人生のスタートラインに立ち戻りました。この時すでに20代後半。一体どこへ向かうのか?もろもろ大丈夫か、ワタシ!?(この後、ボタンアコーディオンへの転向という一大転機、そしてアコーディオンに負けない身体作りを決心して週3のジム通いで筋トレに励む…という、もうひと波瀾が待っております)

「アコーディオンでこぼこ道中」その5に続きます!(不定期執筆)

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