見出し画像

「アルティザンのありか」に気づく

日本滞在8日目のメモ。

昨日はデザインファームのコンセントの社内勉強会で、意味のイノベーションやイタリアのデザインの考え方などについて話した。意味のイノベーションをどう理解するかやプロセスを説明したのだが、みなさんがこれに対して、何となく敷居を感じる点が2つある。

1つは「自分1人で考えるプロセス」に対する恐怖心や劣等感。全てをグループ活動にしないといけないとの思い込みや、それをしない孤独な自分への尻込みだ。もう1つは、1人あるいは少人数で「これ!」と方向を決めることへの罪悪感。

この2点は、今年の1月に日本に来た時に色々な企業で受けた印象とまったく同じであり、ある特定の会社でこの2点が浮上するのではなく、あえていえば今の日本のビジネス文化土壌に比較的共通する特徴と言える。

こういう傾向に対して社長の長谷川敦士さんが、さまざまなアングルから切り込みながら空気を変えようとしている。ぼくは、まずは「好き嫌い」をオーソライズすることではないかと話したら、長谷川さんは「好き嫌いは、その人が経験してきた履歴そのものである」と認知科学出身らしい発言していて、この点が意味のイノベーションの突破口になるのではないか、とますます確信した。

今日は、ほぼ日の篠田真貴子さんを訪ねる。職人やアルティザンという言葉は、国によって異なる定義やコンテクストを作っている。ぼくは、この定義やコンテクストの使い方が国外市場ビジネスの成否を左右すると考えており、篠田さんとそんなことをネタに雑談した。

工芸美のようなとても限られた領域でしか職人のアウトップトに価値が認識されていないという象徴として、篠田さんは、手で織っている生地でさえ、それを職人の生地として売りにできると企業は思っていない。それが日本国内での認識だろうと指摘。

イタリアのアルティザンとの大きな違いで、イタリアでは極端に言えば「手仕事が加わればアルティザンの仕事」とさえ表現する。なぜなら「アルティザンの手による」と記載すればより高く売れる市場があると知っており、ブランドは「どこで誰が作ったか?」がポイントだからだ。

その後、同じビルにあるデジタルアルティザンの原雄司さんのオフィスへ。社名にアルティザンを使っている原さんに、そのビジョンやコンセプトについて聞く。彼の定義するデジタルアルティザンは、主に製造業の世界でデザイナーが考えたコンセプトを、デジタルデータと手を使ってカタチにする人。他の領域でいえば、試作品をつくるモデラーやコードを書くソフトウェアのプログラマーの位置に近く、かつモノと分野によっては量産にも直接関与する人だ。

原さんは、このデジタルアルティザンという役割を担う人材があまりに乏しいと考えており、そこにビジネスチャンスとそうした人材を育てる社会的な役割を自覚している。そうか、原さんは、ご自分でアルティザンを定義して、そこに文脈を作ろうとしている。アルティザンの意味のイノベーションを目指しているのだ。

明日以降の予定です。

6月2日は立命館大学東京キャンパスで発酵文化人類学の小倉ヒラクさんとの対談。6月6日は虎ノ門ヒルズのVenture Cafe Tokyo でざっくばらんにMade in Italyと意味のイノベーションの話。6月14日は六本木のデザインハブで意味のイノベーションと社会の話。6月15日は立命館大学東京キャンパスで、子どもの保育園の松本さんと対談。6月16日は立命館大学東京キャンパスで経済産業研究所の藤井敏彦さんと対談

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?