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デザインは哲学の僕なのか?

八重樫文さん+安藤拓生さんの『デザインマネジメント論』を巡るポドキャストの5回目をリリースしました。

「社会文化ロードマップ」「サービスデザイン」「経験価値」「プロダクト・サービス・システム」「人間中心設計」を取り上げました。

技術ロードマップと対峙する、あるいは補完しあう相手としての社会文化ロードマップが、この20年間、サービスがデザインのなかに入ってきたことで、とても描きにくくなっているのではないかとの懸念が、今回の対談のスタートになっています。ベルガンティが2009年「デザイン・ドリブン・イノベーション」で、この社会文化リサーチについて触れたとき、サービスで経験価値が今ほどには定着していなかったわけです。

殊に、「デザイン・ドリブン・イノベーション」は、1990年代終わりにはじまった、イタリアのデザインプロセスを経営的に明らかにする目的の研究プロジェクトがあり、それまでイタリアデザインの成功要因が「デザイナーよりも経営の力による」と言われていたにも関わらず、不可視分野だったところに焦点をあてたところに出発点がありました。

その際の社会文化リサーチの性格とサイズ感と、サービスが主流になってきている時代における社会文化リサーチはそうとうにキャラクターが違うだろうと。

一方では、「未来」をキーワードにした思考アプローチなどがたくさんでてきており、それぞれの分野でそれぞれの物言いで語りあっている、との状況もあります。

そして、あらゆる新しい「キーワードらしきもの」が、なんとなく受け入れ土壌としてはちょうどいいだろう?といった感じで、「デザインに押し付けられている」との現象がみえます。だが、興味深いというか不思議なことに、それであまりデザインの人は困っていない・・・というのも、実践家はそんなデザイン議論にはあまり目を向けていないし、デザイン研究者も「だいたい、デザインって間口が広い、そんなもの」と思っている節があります。

また、「人間中心設計」のあり方が、AIから環境問題まで視野に入れたときに再検討されるだろうとの見方が、哲学者や社会学者の動向を見ながらデザイン研究者が「気にしている」。哲学者も社会学者も好き勝手に自分の意見を表明する商売をしているのであるとするなら、なぜ、デザイン研究者がそうした動向を先に示さないのか? 遠慮しているのでしょうか?この点はより深く考えるべき点かと感じます。

5回、「デザインマナジメント論」をネタに対談してきた結果、ぼくのような人間にも、この分野での穴や問題点が少しは見えてきました。次回は最終回で、これまでのまとめをします。それと次にとりあげる「デザインマネジメント研究の潮流 2010-2019年」の導入を話したいと思います。


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