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各駅停車の行き先は

旅に出られる。その幸せの大きさを北の大地で味わっています。


これは今夏のあるポスターのコピーだ。そのポスターで紹介しているのは青春18きっぷ。毎回、駅や列車と美しい景色を収めた写真、それに関連した言葉が使われているのが特徴だ。


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富良野線,学田駅
ローカル線の要素を詰め込んだ風景


僕は美しい景色を見る旅の移動手段に列車をよく使う。この理由は安いからというだけではない。車窓をゆっくりと眺められるから、自分の時間を作れるからだとか、まあ色々ある。


そうして列車での旅を重ねていくごとに、僕はまた新たな列車旅の良さに気づいた。


それは「列車が途中駅にとまる」こと。


旅には何か目的がある。そんな大それた意味があるわけではないけれど、ある景色が見たいだとか、行ったことのない場所を知りたいだとか、よくわからないけどどこか遠くに行きたいだとかそういうものがきっとある。でも、移動時間そのものが目的になることはあまりない。


320kmで新幹線が走り、上空10000mを飛行機が飛ぶ。そんな時代で移動時間は今このときも短く、蔑ろにされていく。もちろん速いことはメリットにもなるのだけれど、その速さに疲れてしまうこともある。


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久大本線,善導寺駅
車窓越しに見えた駅名標と桜


そんな速いことが普通になっている今だからこそ、鈍行列車の遅さは旅における一つの価値になると思う。


鈍行列車はその名の通り、ゆっくりと線路の上を走り、ほぼ全ての駅にとまり、何度か特急列車に抜かされたりする。僕はその間の止まっている時間が旅の思い出になると感じている。


その停車時間、特にやることもない旅人の僕は何気なく窓の外を見る。小さな無人の駅舎とその奥に見える寂れた集落。運転士に運賃を支払った一人の乗客がそこに向かっていく。


都市に住んでいると可視化出来ない一人の乗客の列車を通じたドラマが、ローカル線の鈍行列車では容易く見られる。そのドラマにはもちろん旅人の想像が入る。その見知らぬ誰か一人を想像する行為は日常で行われるものではない。鈍行列車では、乗客にとっての日常が旅人にとっての旅情になるのだ。


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僕は奈良県の片田舎で生まれたのち、紆余曲折を経て大都会の東京に引っ越し、少年から青年に移行する時期を過ごした。東京では10両ある列車に人々が押し込まれていく。列車は数分に1本の間隔でやってきて、あって無いような待ち時間をスマホとにらめっこして潰す。誰でも住むのを許してくれるような感覚がある一方で、人混みの中で自分を失いそうになる。


当時の弱い自分はそんな雰囲気に嫌気が差していた。奈良にいた時とのギャップに心が酔った。そんな中、ひょんなことで知った青春18きっぷを手に握って、逃げ出すようにして遠くへ向かった。ようやく落ち着けるようになったのは、東京の端の高尾から山梨へ抜ける列車の中だった。


列車はまだ今の新しい車両になる前だった。列車のドアの開き方が雑で少し笑ってしまった。だんだん駅と駅との感覚が広がってきて、次はどんな駅にとまるんだろうと気になってくる。とまった駅で外の景色をよく眺める。列車が動いて集落から離れていく時間、どんな営みがそこにはあるのかを想像する。その間窓の向こうには森しかない。


目眩く変わっていく車窓はもうなかった。見える景色は数メートル先のマンションではなく、数キロメートル先の自然になった。何もないのに僕はその風景に釘付けになりながら、次の駅に胸膨らませた。


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根室本線,別保駅
乗車人数が少ないからこそ気になる周りの乗客


特にそれ以上でもそれ以下でもない小さな体験が、普段の生活から乖離した場所に僕を連れていった。この時から駅にとまる時間は大切だった。青春18きっぷはその名前の通り、自分の青春の一部を形作った。


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今夏のポスターに使われている写真は、なんでもない田舎の小さな駅だ。駅の名前は美馬牛。これで「びばうし」と読む。たまたま僕がいま住んでいる北海道の駅が選ばれた。


美馬牛駅があるのは富良野線という地方のローカル線だ。通年運行の特急はなく、列車の多くは2両編成、本数は2時間に1本程度という典型的な地方路線。この記事1枚目の写真を撮影した学田駅も同じ富良野線の駅だ。


写真には列車も写っていなければ、人もいない。ただそこで列車を待っている駅舎だけがある。周囲の風景があまり写っていない写真を使うのは、ここ最近の傾向からすると珍しい。


実は青春18きっぷのポスターには、毎回変わるコピーとともに、2年周期で変わるテーマがある。去年までは「列車の灯りに誘われて」だった。


今年からのテーマは「誰かを待つ駅。」になった。


そのテーマ通り、美馬牛の駅舎はホームとともに誰かを待っている。その「誰か」は隣町の美瑛で買い物をしてきた集落の住民だろうか。部活を終えて帰ってきた学生だろうか。それとも僕のような鈍行列車の旅情に誘われた旅人だろうか。今まで以上に駅そのものにフォーカスしたテーマになっていることは間違いない。


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宗谷本線,糠南駅
次にこの駅を使うのは誰だろう


今年はおそらく旅に出る人は少ないだろう。この雰囲気がいつまで続くかは予想できない。それでも小さな駅舎はいつやってくるかも分からない旅人をそこで待ち続けている。美馬牛駅を旅の目的地としている人はあまりいないだろうから、駅舎は青春18きっぷを手にした旅人がふと降りる、そんな体験を待っている。


青春18きっぷのポスターは、いつも日常の風景を切り取っている。有名な観光地はほぼ写らず、日本にはこんな風景があるんだよと教えてくれる。「あぁ、僕はそういう何でもない風景が見たいんだ」と気付かせてくれたのは、中学生の頃に見た青春18きっぷのポスターだった。


そんなことを教えてくれたポスターから最後に一つ、好きな青春18きっぷのコピーを紹介させて欲しい。


「早く着くこと」よりも大切なことがある人に。


たまには心ごとゆっくり旅をしてみないか。そう言ってくれるようなコピーで、とても気に入っている。青春18きっぷで特急列車に乗ることは出来ない。鈍行列車にしか乗れないからこそのコピーでもある。目的地に向かう途中、ふと見知らぬ駅で降りて道草を食えるのも鈍行列車で行く旅の良いところだ。


気付けば青春18きっぷのポスターから長い話が始まってしまった。僕は20歳になった。これから先どんどん青春と呼ばれる年齢から離れていく。それでもこのポスターにワクワクする心を持ち続けたい。冷めた目で見るような効率しか求めない大人にはなりたくない。


つい先日、今シーズンの青春18きっぷを買った。また鈍行列車にしか乗ることの出来ないその切符で、目的地までの長い時間を過ごすことになるだろう。そして駅にとまる度、周りの風景ごと視界に入れて思いを馳せる。窓枠に置いた青春18きっぷで「風景を思うこと」ができる、その幸せの大きさを味わうのだ。

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