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水溶

2012年夏、気づけば僕らは小学生最後の夏休みを迎えていた。それでもやってることは相変わらず変わんなくて、炎天下の公園でサッカーをしたり、いつものエリアで鬼ごっこをして時間を溶かしていた。


僕が当時住んでいた場所は校区の端の端、家の目の前にある踏切を渡れば、そこは隣の小学校の校区だった。小学校まで片道20分の距離を1人で通うのは何か心許なくて、自然と近くに住む同じ学年のやつらと登校して、下校して、遊んでを繰り返す毎日を過ごしていた。


今日も12時30分にいつもの交差点、カーブミラーの下で集合する。夏休みも午前中にプールの授業があって、塩素の香りを纏ったあとに一回解散する。家で昼ご飯を食べたあと、懲りない僕らはもう一度集まることが多かった。


「もう6年生だって」

「夏休み最後じゃん」

「まあ中学校もどうせ一緒だけどな」


せっかくプールで汗を流したのに、35℃の暑い日射しを受けながら話す。この会話は確かに正しいのだけれど、1学年70人弱の小さな小学校に通っていた僕らはまだ知らない。1学年300人の中学校に通えば、この毎日一緒に遊んでいた関係は大きく変わってしまうことを。


「最後の夏だしさ、ちょっと遠くに行こうよ」


アウトドア派のSがそう言ったのが始まりだった。


「遠くってどこに?」

「...いや、決めてないんだけどさ」

「うーん...。じゃあ、ダーツの旅みたいにすれば?」


Sは遊び場からすぐの家にあったポケット地図を引っ張り出して、表紙をめくった。


「目、閉じて。で、地図に指さして。そこに行こう」


なんでその方法がすぐに思いついたんだろう、と今になって思う。


当たった場所は郊外の聞いたことも無い土地だった。大学生にもなれば簡単に行ける場所だけれど、携帯の1つも持っていない、月500円のお小遣いを大切にしていた小学生の僕らにとっては大冒険だ。


地図についていた路線図を見ながら、乗ったことの無い列車を転々として目的地を目指す。自分が住んでいる市から基本出ない生活をしている僕らにとって、隣の隣の市なんてものは実質外国のようなものだ。


多分1時間くらいでその場所には着いたと思う。そして1時間くらい滞在して、1時間かけて戻ったんじゃないかな。律儀に5時のチャイムで家に戻っていたので、そんなに遅くなるようなことはなかったと思う。


その場所で何をしていたかはあんまり覚えていないのに、そこでサイダーを飲んだ記憶だけは鮮明にあった。みんな、なけなしのお金で買ったサイダーで夏を感じながら飲み干していた。


夏休みは一瞬で過ぎていく。ペットボトルのキャップを開けた瞬間、すぐに炭酸の泡が空気中へ逃げていくように。


多分その時の僕は、8月末になっても終わっていない宿題に焦ったはずだ。2学期もいつもと変わらず過ごして、気付いたら卒業式を迎えていたくらいだったと思う。周りの皆は涙ぐんでいたけれど、僕は泣けなかった。中学生になっても今の関係はほぼ変わらないと思っていた。


小学生最後の夏、一番鮮明に残っている記憶が、知らない場所で探検をしてサイダーを飲んだことなのは、取り戻せない夏を片隅に置き続けたいからかもしれない。いつかこの思い出もサイダーに溶けていられなくなって、空気中に逃げてしまうのかな。


札幌に桜が咲いた日、ふとそんなことを回想した。次の夏に良い思い出が生まれることを祈って。

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