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友達の作り方


友人の一人が、最近新しい職場に転職して「今、実は孤立しかけているの…」とちょっと寂し気に話していた。

「ここでの人間関係はもういいや。仕事さえできればいいんだし。」とちょっと投げやりそうだった。

3月と言えば、学校なら「別れ」と「新しい出会い」の準備の季節。

いくつになっても、新しいところで友人や仲良く出来そうな人ができるかは気になるものだ。

でもそういえば、友達ってどうやって作っていたんだろう?とふと思った。

正直なところ、私は好きな友人と付き合うのも好きだが、ボッチも好きで比較的平気なので、そういえば新しい環境に飛び込むことはそんなに怖くなかった。

今回は新しい場所へ飛び込む人への参考になればというささやかな思いで書いてみる。(ならなかった場合は、単なる読み物として。苦笑)


仲良くなれそうな人の見つけ方


新しい場所へ飛び込む時は、気の合う人がいればいいな~と思うのは自然なことだ。

学校は楽しむための場所ではなく勉強するところ、そして会社は仕事の場なので「仲良しを作る」ための場所ではないし、もし一人でも仕事を円滑にやって行けるならそれに越したことは無い。

でも、仲良くできる人がいれば、勉強や仕事をする時間が少し楽しくなり、前向きに勉強や仕事がはかどる可能性も高い。

ちなみに、私は転職が無駄に多いので、新しい職場に飛び込むのはすっかり慣れたものだ。

そして、新しい場所で仲が良くなれそうな人の目星を以下のようにつける。

1.挨拶した際に、私の名前を覚えてくれようとしている。
2.何かと私に声をかけてくれようとしている。
3.何となく「ピン」とくる。

もちろん、「そこでの自分の立場を踏まえた上で」だ。

近しい部署や席が近い人はもちろん、もし別の部署や全く関係の無いところの人との「1」や「2」なら、絶対仲良くなれる。


距離の詰め方


仲良くなれそうな人の目星が付いたら、次はこちらから積極的に声をかけるようにする。

挨拶はもちろん、できるだけこちらから雑談を試みる。

冗談ではなく、まずは天気の話など差しさわりの無いことから始めて、少しずつ共通点などを探っていく。

私の場合は、自分の好きな「食べる」話題などで相手の好みや距離感を確認しながら、少しずつ親しくなるのが多い。

急に相手から距離をぐいぐい詰めて来られたり、私が居心地が悪くなったら、また少し距離を取るようにする。

そこで相手が何となくこちらの気持ちをわかってくれたら、またちょっとチャレンジしてみたりするが、あまりこちらを察してくれない人の場合は、「私とは合わないかも」と。

同性でも異性でも、合う合わないタイプが私の場合ははっきりしているので、そのあたりで判断したりしていた。

でもたまに会う「3」の場合には、そんな順番を一気に吹き飛ばしてしまう場合が多い。

以前一緒に仕事した方で、最初に会った際に「ピン!」と来た相手とは一足飛びで、出会った次の週にはもう一緒に旅行していた。(笑)

その時の旅行は楽しく、お互いに多くの共通点もさらに発見して、仕事を辞めた今でも友人としてお互いの家族を交えて付き合っている。


いろんなところで友人はできる


まあ、大して難しく考えなくても、職場はもちろん、取引先や業者さんなど、仕事や関係を越えて、どこでも誰とだって友人関係は築ける。

友達になってしまったらタイトルも立場も仕事も関係なくなる。

友人の勤める会社の会長さんと仲良くなって、なぜか友人を含めてお祭りに行ったり、食べ歩きしたりしていた頃があった。

勤めていたオフィスに入っていた清掃会社のおばさまと親しくなったら、実はとある習い事の師範だったことが判明し、その習い事でお世話になったこともある。

自分が友人として誠実に接すれば、相手も友人として返してくれるはずだと「私は」思っている。

一緒に遊ぶだけだった若いころと違って、年齢を重ねた今だからこその深い話ができたり、相手を思い遣れる関係が築ける友人関係は貴重だ。

でも最初から「一生付き合う」などと気負うのではなく、軽く付き合ってみて好きだと感じれば長いお付き合いにすればいいだけだ。

全ては付き合わないことには、始まらないのだ。

知り合って、たとえその時だけでも一緒に楽しく過ごせることができれば、お互いの人生に何らかの「楽しい記憶」を刻めるのではと思うし、私と友人になってよかったと思ってもらえることをいつも願う。


私の親友のはなし


実は、小学生高学年の時にある日突然、仲良くしていた友達数人から急に冷たくされる、ということを経験した。

その友達とは昨日まで待ち合わせて一緒に学校に行き、お昼を一緒に食べ、トイレに一緒に行き、放課後も一緒に過ごしていたのに、ある日突然私は一人にされた。

理由も分からずに、その日は真っ暗な気持ちだったのをぼんやりと覚えている。(多分、その年齢独特の、”悪意のある”急な心変わりみたいなものなんだろう。)

その日から、休み時間は教室にも居場所が無くて、学校中のいろんな所をさまよっていた。

その時思ったのは、「誰かに頼るって、こんなに不安定なものなんだ。他人を信じるのって怖いことだ。人の心は突然変わることもあるんだ。」ということだった。

でも、学校生活を一人で過ごしていくのはやはり辛い・・・ということで、私は同学年の女子をリサーチし、自分と似た人を探すことにした(笑)

そして、いつも図書室にいる物静かでちょっと大人びて、一人でいることが好きな、とある女の子と出会った。

私達は、よくある小学生の友達付き合いとは、ちょっと変わっていたのかもしれない。

お互い、小学生の割には高音で「きゃっきゃ」していない感じだったためか。

それぞれを尊重しつつ、話したり本を読んだり漫画を貸し借りしたり…とべったりはしていないけれどまあ一緒にいる、という距離感だった。

先生からはよく「お前たちは”おともだち”というよりは、なんだかもう老夫婦みたいだよな。」と言われていた。

彼女とは中学・高校・大学・社会人…と、進学先はお互い全然違いバラバラだったが、連絡を取り合いたまに電話で話したり、遠くに居ても年に1回~2回は必ず会ったりしながら、ずっと繋がってきた。

始終一緒に居なくても、彼女という存在が支えとなっていたのは確かだ。

私はどこに一人でいても寂しくはなかったし、飛び込んだ場所でほぼ一匹狼状態でも頑張れた気がする。

私が結婚する際には、わざわざ海外まで来てくれた。

「くれぐれも、Mをよろしくお願いします。」と親でも言わなかったことを言い、こっそり夫に頭を下げてくれていた。(後から聞いた。)

小学生の頃から「最悪老後に、ふたりとも一人身なら一緒に住んでもいいかもね。」とか、冗談とも本気ともとれることを言い合いながら、私にとってはもしかしたら家族よりも濃い関係にあったかもしれない。

そんな彼女が、40代のある時病に倒れた。婦人科系のがんだ。

常に注意深く、定期健診を欠かさず受けてたにもかかわらず、ある年の検診医が見落としていたのだった。

何とか無事済んだ手術の後に、「マイルを消化したいから、行っていい?」と私のところまで来てくれた。

ロンドンで落ち合って、数日二人で憧れの場所を訪ねたりした後、私の家まで移動して、彼女の体調を見ながらのんびりと過ごすことにした。

旅行中は始終二人で大笑いして、小学生の時のように馬鹿なこともたくさん話した。でも、彼女は時折かなり辛そうで、私はどんどん透き通っていく彼女が不安だった。

これが二人で行く、最後の旅行になってしまった。

後から聞くと、私のところに行くのを目標にいろんな数値を頑張ってクリアして、主治医に「この旅行の後はどうなってもいいから、許可してください。」と言っていたらしい。

彼女は最後の最期まで、この旅行の話を楽しそうに彼女の母にしていたそうだ。

そして、もう一度Mを訪ねられたらいいのに、と言っていたそうだ。

残念ながら老後は彼女と暮らせなくなってしまったが、今も彼女は私と常に一緒にいる、という気でいる。

・・・なので、私の老後に勝手に彼女も連れて行くつもりだ。(笑)


一人ぼっちになったあの時に、全てを諦めて誰も信じられずに、殻に閉じこもってしまいたかった。

でも、踏み出したおかげで親友に出会えた。今は友人と呼べる人は沢山いるけれど、人生を通して親友と呼べる存在は彼女だけだ。

こんな出会いもあるのだ。

だから、私は何度も痛い目に合っても、誰かと関わることをやめられない。

「友達なんてメンドクサイ」「友達なんていなくても平気」かもしれないけれど、人生での出会いは大事にしてほしい。

できればちょっとだけ、勇気を出して、人と関わってみて欲しい。

どこでいつ、運命の相手と出会えるなんて、だれも分からないから。


そして女性は、婦人科系の定期健診と乳がんの自己チェックは忘れないで。ちょっとでも違和感があれば、すぐ最寄りの専門医へ走ってほしい。



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